『イナンナの冥界下り』を明解に解説する「イナンナの「明解」下り」の3回目。今回は「急の段」、女神イナンナが甦りますよ~。
シュメール語の高井啓介先生にチェックをしていただきましたが、文責は安田登です。写真は田島空さんに撮っていただいたものと、ビデオカメラからのキャプチャーを使いました。

●全体の構造
またまた全体の構造を復習しておきましょう。今回は、この中の「急の段」です。
プロローグ イナンナ女神への憑依儀礼(神降ろし) | |
序の段 女神イナンナ 冥界に赴く | |
序の1段 | さまざまなものを捨て、7つの「メ」を身につける |
序の2段 | 大臣ニンシュブルに後事を託す |
序の3段 | 冥界への道行き |
破の段 女神イナンナ、冥界の女王エレシュキガルに死を賜る | |
破の1段 | イナンナ、冥界に到着し、エレシュキガルの怒りを招く |
破の2段 | 7つの「メ」が剥がされる |
破の3段 | 弱い肉となったイナンナは冥界の釘に吊り下げられる |
急の段 イナンナとエレシュキガルの甦り | |
急の1段 | ニンシュブル、神々のところに行く |
急の2段 | クルガラ、ガラトゥル、冥界に行く |
急の3段 | イナンナとエレシュキガルが甦る |
エピローグ 神送り |
●ニンシュブル、神々のところに行く
イナンナの大臣ニンシュブルは、イナンナが残した言葉のそのままに、体を引き裂き、貧しき者のごとき姿で、哀歌を歌いつつ、神々の神殿を徘徊し、まずエクルのエンリル神殿に参り、そこで大神エンリルの前で涙を流し、大きな声で泣いた。しかしその願いが聞き入れられなかったニンシュブルは次に大神ナンナの所に参ったが、やはりダメだった。最後に参ったのは大神エンキのところ。
●クルガラ、ガラトゥル、冥界に行く
大神エンキは、爪の泥からクルガラ、ガラトゥルの二体を作り、命の草と命の水を授けて冥界に遣わした。クルガラとガラトゥルを演じるのは子方(子ども)。クルガラは奥津健一郎、ガラトゥルは笹目美煕です。

<エンキの爪の垢から作られたクルガラ、ガラトゥルは冥界に向かった>
gala-tur kur-ĝar-ra ĝišig nim-gin7 mu-un-dal-dal (ガラトゥルとクルガラは蝿のように扉を飛び) gala-tur kur-ĝar-ra za-ra lil2-gin7 mu-un-gur-gur (ガラトゥルとクルガラは「風」のように柱を回った) |
イナンナを助ける精霊たちが「蝿(nim)のように扉を飛び」と聞くと「え~、ハエ。やだ~」と思う方もいらっしゃると思うのですが、ハエは決して悪いものではありませんでした。アッカド語の『ギルガメッシュ叙事詩』には神にかたどった「大きな(偉大な)ハエ」のラピスラズリの首飾りを掲げる…などという表現もあります(第11書板163行目:George版)。
また、「風(lil2)」の方は「霊」と訳してもいいし、「息」と訳してもいい。ヘブライ語の「ルアフ(רוּחַ )」やギリシャ語の「プネウマ(πνεῦμα)」と同じですね。

<”風(霊、息)”のように柱を回る>

<ふたりは冥界に着いた>
●クルガラ、ガラトゥルとエレシュキガルとの会話
冥界に着いたクルガラとガラトゥルはエレシュキガルと不思議な会話をします。
クルガラ、ガラトゥル(以下、クル、ガラ):いかに申し上げ候。 |
●イナンナとエレシュキガルが甦る
イナンナの死体をゲットしたクルガラ、ガラトゥルは、そこに命の水と命の草を注ぎます。するとイナンナは甦り、なんとエレシュキガルも元気になるのです。

<甦ったイナンナとエレシュキガル>
●イナンナの舞
den-lil2-e an ma-an-ze2-eĝ3(エンリルは私に天を与えた) den-lil2-e ki ma-an-ze2-eĝ3(エンリルは私に地を与えた) me-e dinana an-en(私はイナンナ) ma-ra diĝir teš2 mu-da-sa2-a(私に比すべき神はいない) |

<榊を手にして舞うイナンナ(右)>

<「私はイナンナ。私に比すべき神はいない」>

<序の足遣いをする冥界の女王エレシュキガル>


<ヲノサトル(左)、槻宅聡(右)>



悠々たり悠々たり。太だ悠々たり。 生まれ生まれ。生まれ生まれて 生の始めに暗く 【序之舞】青柳 杳々たり杳々たり。甚だ杳々たり 死に死に。死に死んで 死の終りに冥し 女神はパラの衣を着し 女神はパラの衣を着して シャガンの器を油で満たし 溢るる思ひは身をくだく 千々に乱るる胸の火の 日も夕暮れになりぬれば パラの衣の長き袂を 翻し翻し袖を返せば 返す命は常盤木の 永遠(とわ)の恵みをイナンナに与え エレシュキガルはむばたまの 冥き道行く冥界の 冥き道行く冥界の塵の 霞にまぎれて失せにけり
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▼エピローグ 神送り
『イナンナの冥界下り』の舞台は、「よりまし」にイナンナの霊を憑依させるところから始まりました。このような芸能の場合、最後に憑依した神さまを送る「神送り」の儀式が必要になります(大相撲でも最終日に「神送り」が執り行われます)。
この舞台で神を送るのは神官とコロスの役割。叙事詩の最初の詞章を謡いながらイナンナを送り、憑依を解きます。

<神官とコロスによる「神送り」>