イナンナの冥界下り

シュメール神話『イナンナの冥界下り』や天籟能の会のためのブログです。

イナンナと冥界

イナンナと冥界(03)

▼自分の「死」は認識できない

前回は…

古代日本語で「しぬ」は「死ぬ」ではなく、魂が遊離して、しなしなになるという「萎(し)ぬ」であった

…ということを書きました。

古代の日本語に「死」という言葉も、その概念もなかった。人は、しなしなになる「しぬ(萎ぬ)」と、元気になる「いく(活く)」とを永遠に繰り返す存在であり、恒久的な「いく(活く)」もなければ、恒久的な「しぬ(萎ぬ)」もない、そう昔の日本人は考えたのです。

「そうは言ったって、古代の人だって生き返らない人がいたのは事実でしょ」

確かにそうです。

…で、今回はこれについてふたつの視点からお話しましょう。

まずは自分自身の死、それから他者の死です。

▼自分自身の死は認識できない

死者の国を「大いなる虚構的真実」だと前に書きましたが、「死」も「大いなる虚構的真実」です。なぜなら、僕たちは他人の「死」を見ることはできても、自分の「死」を体験することはできないからです。

弘法大師 空海が…

生まれ生まれ生まれ生まれて
生の始めに暗く
 
死に死に死に死んで
死の終りに冥(くら)し

…と書いたように、僕たちにとって自分の「生の始め(誕生)」「死の終わり」は暗闇であり、認識をすることができません。

たとえばよそ見をしながら歩いていて電信柱にぶつかったとしましょう。「電信柱にぶつかった」と気づくのは、電信柱にぶつかったあとです。当たり前ですね。

電信柱

で、(おそらく)「死」もそうです。いくら他人が「この人はもう死ぬ」と言ったって、本当に「死」が実現されるのは死んだときでしかない。「あなたはもうすぐ死にます」と言われて、自分も「ああ、このまま死ぬんだな」と思いながら、そのまま意識が絶えても、「あれ?」ってまた目覚めることだってあります。

自分が「死んだ」ということがわかるのは「死んだあと」なのです

だから、もうこれは永遠にわからない。

まあ、ほんとはね、まだ、自分がその状況になったことがないから断言はできないのですが、僕たちは自分の「死の瞬間」を認識することができないんじゃないか、そしてそうであるならば「死の絶対性」を、少なくても自分自身の体感からは確信することができないんじゃないか、そう思うのです。

▼能には果てあるべからず


実は、自分が死ぬ瞬間にそれが認識できるかどうかを知るために、その練習として、たまに「眠りに落ちる瞬間」を認識してみようとしているのですが、これがなかなかうまくいきません。「その瞬間をGETしよう、GETしよう」とトライしながら眠るのですが、いつもその瞬間は覚えていないのです(寝つきがいいというのもあるかも知れませんが:笑)。

能を大成した世阿弥は…

「命には終わりあり。能には果てあるべからず」

…といいました。

これは「客観的事実としての"命"には終わりがあるかも知れない。だが、能を演じている自己という"主観的事実"には果てがない」という意味です。

能の演者の多くは最後の最後まで現役です。舞台の上で亡くなる人もいます。その人にとっては死というものは存在しない。旅に病んでまでも、夢で枯野を駆け巡った芭蕉のように、いつまでも舞台の上で舞い続けているのです。

▼他者の死

自分の死の認識は難しいとしても、僕たちは他者の死はたくさん実見していますね。

それは古代の人だってそうでしょう。人のこともあれば、犬のこともある。牛のことだってあれば、植物のことだってあった。

が、そう考えるのは「死がある」と思っている現代の僕たちだからです。「他者の死」といったって「死」そのものがなければ、他者の死もないのです。

…なんて言葉尻をとらえるのはやめて、さて、では僕たちは、何をもってそれを「死」とするのでしょうか。

人間に限っていえば、昔だったら「息を引き取る」、すなわち呼吸の停止が「死」でした。

また、ちょっと前までは、お医者さんが臨終の人の側にいて、息が止まったら聴診器を心臓に当てて、「ご臨終です。何時何分です」といい、その時間を死亡診断書に書き込み、これをもって「死」としました。

私事で恐縮ですが、僕が最初に人の死を意識したのは小学校1年生のとき。祖母の死でした。このときの記憶は、その後、いろいろと考える要素が多いのですが、それはさておき、文字通り「息を引き取る」というような静かな死でした。

「息を引き取る」というコトバが、実感として生きていた時代の話です。

また、エイズにかかったタイの人を看取ったときも、そうでした。都内某病院でしたが、もう痛み止めが効かなくなっていたので、ずっとマッサージをしていたのですが、「もう、大丈夫」と言って、その数秒後に息を引き取りました。これも静かな死でした。

身寄りのない彼の場合は、そのまま死亡と診断されましたが、ふつうのケースならば、そこでさらに機械的に呼吸をさせたり、心臓に電気ショックを与えたり、心臓マッサージをしたり、脳の活動も停止したかなどを調べたりして、やっと「死」として認定されるということも多いでしょう。

現代人が、それを「死」と認定するのはなかなか大変なのです。

しかし、これらだって時代が変わればどうなるかわからない。

そういうことによって診断された「死」ですら、「確実な死」ではないことは、脳死の議論などからも明らかです。

僕たちは、何かをもって「死を知る」のではなく、何かによって、それを「死と定義」しているだけなのです。心臓が止まり、息も止まり、脳が活動を停止した時点をして「これを死であるとしよう」と決めているのです。

▼死者がしゃべる

さて、いまここに(現代的にいえば)死んでいるように見える人がいるとします。

が、もし彼が自分に語りかけてきたらどうでしょう。それもはっきりと。

横たわる

現代人ならば、それを「幻聴」だといって片付けるでしょう。しかし、古代の人だったら、それを「い(活)きている」と思ったのではないでしょうか。

「人に口なし」といいます。口がある人、すなわち言葉は話す人は「死人」ではないのです。

「死人がしゃべったりするものか」というでしょう。あるいは目の前の死者の声が聞こえる人は、精神的に病を抱えている人だけだ、そういう人もいるでしょう。

しかし、昔は死者どころか山川草木、あらゆるものがしゃべっていたようです。

「大祓詞」というものがあります。6月と12月の大祓のときに読まれる祝詞(正確には祝詞とはちょっと違うのですが)です。

その中に…
荒振(あらぶる)神等をば神問はしに問はし給ひ。
神掃へに掃へ給ひて。
語(こと)問ひし磐根(いわね)樹根立(きねたち)、
草の片葉(くさは)をも語(こと)止めて…
…という句があります。

この祝詞によれば、かつては岩や樹木、草なども言葉をしゃべっていた

想像してみてください。山道を歩いていると岩や木や草までもがぺちゃくちゃおしゃべりしている。うるさいですね。都市の音楽もかなりうるさいですが、植物、自然におしゃべりされたら、もうめちゃくちゃうるさい。

もちろん、このおしゃべりはいわゆる言語的なおしゃべりとはちょっと違ったおしゃべりでしょう。日本の古典音楽やジャズなどをしている人は言語を使わない会話というが普通に成り立つことを知っています。自然のおしゃべりがそうだというわけではありませんが、言語的なおしゃべり以外のおしゃべりもあるのです。

ま、それはともかく、こうしたおしゃべりを止めたのが天孫である瓊々岐(ににぎ)の命(みこと)です。荒ぶる神々を掃討したことによって、岩や木や草のおしゃべりが止まったと大祓詞にはいいます。

そうなのです。岩や樹木や草などの「自然(naure=φυση)」は、天孫によって掃討された荒ぶる神らの一党に属する存在で、天孫=「人間が作った(art=τεχνη)秩序」「自然(naure=φυση)」に勝った瞬間です。

▼罰はあるけど法がない

自然のコトバを封印した天孫たちは「こころ」を持つ人たちであり、「こころ」を持たぬ<まつろわぬ>人たちを「荒ぶる神々」として説得、駆逐していったんではないかと思うのです。

あ、ちなみにここでいう「こころ」というのは、ふだん使う意味とは違うので、はじめての方は以下もお読みください。

【イナンナと心の時代】

「こころ」を持つ人たちの特徴は、文字を使うこと。すなわち言語を定着させる能力を持つことです。

コトバは世界を分節化しますが、文字はその分節化を定着させます。さまざまな事象が明瞭になるんです。

正邪を分け、善悪が分けられる。ルールもできる。

ちょっと余談…

子どもたちが一本の線の上をあっちとこっちから歩いてきて、出会ったらジャンケンしていたのですが、当然、負けた方がその線から降りて、また端から歩いて…となると思ったのですが、全然違った。

ジャンケンしてから、「う~ん、どうしようか」とルールを考えているのです。「こころ(文字)」以前の子どもたちの遊びです。

これってアマテラスとスサノオの「うけひ」を思い出します。

これはいわば「刑」や「罰」はあるけれども「法」はない、というのと同じです。いまだったら絶対変です。が、古代ではこれが普通のことなのです。だからこそ法を制定した「ハムラビ法典」も「ウル・ナンム法典」も、そして中国の法家も革命的だったんです。

「おお、そうか。先に法を作っておけばいいんだ!」って。

あ、この「作る」というのは正確にいえば違いますね。若松英輔さんの『イエス伝』に…
「預言」は戒律を含む
という一文があります(p.32)。

「法」というのは、神の仲介者である預言者が、預言を通じてこの世にもたらした。すなわち法は、人が考えたのではなく神よりの預言です。

「え~、そんな~。預言だなんて」という方。

でも、これは中国の法家が人為を排する道家から出たことや、法の本字「灋」が神審の際に用いられる犠牲の神羊、「廌」に由来することとも呼応するのです(が、あまり深入りしないことにします)。

法_金文
(「法」の金文)

▼自然や死者が声を取り戻すとき(1)

さて、話を『古事記』に戻しますね。

大昔の人には聞こえていた山や川や草木や岩の声、すなわち「荒ぶる神々」のおしゃべりは、天孫の秩序の力によって止まりました。

このとき、死者も沈黙したのです。

が、それがまた復活してしまうときが『古事記』には二度あります。

一度は、天照大神が天岩戸に隠れてしまったときです。

天孫の代表である天照大神がいなくなれば、そりゃあ「荒ぶる神々」はまたおしゃべりを始めますね。
故(かれ)ここに天照大御神、見畏(み・かしこ)みて、天の石屋戸を閇じて、刺しこもり坐(ま)しき。爾(ここ)に高天原皆暗く、葦原の中つ國、悉(ことごと)に闇し。此れに因りて常夜(とこよ)往く。ここに萬(よろづ)の神の聲(おとなひ)は、狹蠅(さばえ)なす滿ち、萬の妖(わざわひ)悉に發(おこ)りき。
よろづの神の声が<狭蝿(さばえ)なす>満ち」というのがすごいですね。

<狭蝿なす>は「五月蝿なす」とも書かれます。旧暦の五月(梅雨の時期)に無数の蝿が出現し、ぶんぶんと耳を聾して五月蝿(うるさ)い。

ちなみにこの時代の人は、死体に群がる蛆も「ころろく(ころころ音がする)」と表現します。気持ち悪っ。

▼暗闇の声

さて、天照大神が隠れたあと「高天原皆暗く、葦原の中つ國悉に闇し」というのも注目したいところです。

「暗」にも「闇」にも「音」が入っています。暗闇は音と関係があります。神々は闇夜に「音」のみさせて(文字通り)おとずれるのです。

この「暗」「闇」は視覚的な話だけではありません。「いや~、僕はその世界には暗くて」というように、もっと広い意味で使われます。

天照大神ら、天孫によって作られた、明瞭な、規則的な、秩序だった世界が、突然、曖昧な闇の世界に戻ったのです。明るい秩序世界が闇によって崩壊する。

この闇の到来とともに、いままで黙っていた<もの>らが五月蝿のようにおしゃべりをはじめます。

▼いまも暗闇は…

…っていうのが『古事記』のお話でですが、でも僕たちにこれを夜に感じることがあります。

電気を消して真っ暗にする。ひとりでその暗闇の中にいると、昼の間に人からいわれたいろいろなことが聞こえてくる。ずっと昔に亡父にいわれた言葉がよみがえってくる。放置していると、まさに「五月蝿」のごとくに満ちてくる。

そんなことがあります。

古代の人は、これがもっとはっきりと聞こえていたのではないでしょうか。

現代的にいえば死んでいる人でも、もしその人が言葉をしゃべったら、その人は生きているのか死んでいるのかわからない。

…って、現代でいえばホラーですが、そのようなことが当然だったのが古代なのではないでしょうか。

イナンナと冥界(02)

イナンナ本small

▼古代の日本人には「死」はなかった

前回から始まった「イナンナと冥界」、これは上掲のミシマ社刊の『イナンナの冥界下り』でカットした部分を連載しているものです。

今回は古代人は「死」をどのように考えていたのかについて考えてみましょう。

イナンナの死は『イナンナの冥界下り』の中では「弱い肉(打ちひしがれた肉)になった」と表現されます。

傷ついた肉
<弱い肉(打ちひしがれた肉)>

「弱い肉」なんて聞くと、私たちはこれを「死の比ゆ表現だ」と思ってしまいます。しかし、古代の人たちは比ゆとは思っていなかったかもしれません。現代の私たちから見れば「死んだ」としかいえないイナンナも、古代の人にしてみればただ弱い肉になっただけ。肉としての機能が、弱まっただけ、そう考えていたのではないでしょうか。

少なくとも古代の日本人はそうでした。古代の日本人には「死」はなかったのです。

しかし、日本語で書かれた(漢文、万葉仮名混交文ですが)もっとも古い書物のひとつである『古事記』を原文を読んだ方は、「『古事記』には「死」という文字が使われているではないか」と思うでしょう。しかし、これは稗田阿礼(ひえだのあれ)の語りを漢字にした太安万侶(おおのやすまろ)の(おそらくは恣意的な)誤使用であったと思われます。

古代の日本人には「死」という概念もなく、だからおそらくは死に対する不安もなかったのです。

このことについて、もう少し詳しくお話しておきましょう。

▼「音(おん)」と「訓」 

が、この話を進める前に、「音(おん)」と「訓」について確認しておきますね。

日本には長い間、文字というものがありませんでした。それがあるとき海を渡って「漢字」が入ってきました。最初はまったく意味不明でしたが、それを携えてきた人とのコミュニケーションの中で、どうもそれが事象を表す記号であり、さらには日本語の何かと対応していることに気づきました。

たとえば「海」という漢字。

海の向こうの人々は「カイ(hai)」と読んでいました。これが「音(おん)」です。「sea」を「シー」とか「スィー」とか読むようなものです。

そしてこの「カイ」は、どうも自分たちがいう「うみ」に似ているぞと気づき、この「海」という文字に「うみ」という読みをつけました。これが「訓(くん)」です。

「空(クウ)」は「そら」と訓じ、「花(カ)」は「はな」と訓じました。古代の日本人だったら「sea」に「うみ」という訓をつけていたはずです。

音と訓
青字が「」で赤字が「

▼日本になかったモノには漢字が当てはめられなかった

このように漢字の「音」「訓」との組み合わせはどんどん増えていきました。ところが中には「そのもの自体が日本には存在しないものがある」ということに気づきました。もともとそれが日本にはないのですから「訓」をつけることができません。現代でもいくつか見つけることができる「音」だけの漢字群がそれです。

たとえば「字」。文字は日本にはなかったので「ジ」という音しかありません(「あざな」という訓は後代にできたものです)。

こういう例では、「死」もそうですね。「死」には訓がない。

音のみ
「訓」のない漢字もある(赤字は音)

ちょっと余談を。

僕は昭和31年(1956年)生まれで、千葉県の銚子市にある海鹿島(あしかじま)という漁村で育ちました。うちの門の2m先は海岸という、すごい田舎で育ったのですが、そんな田舎でも中学になると(当たり前ですが)英語の授業がありました。

で、その授業で…

This is an orange.

…という文を学びました。

いまだったら「これはオレンジです」と訳しそうなものですが、当時のうちの近くにはオレンジなんてものはありませんでした。ですから「これはオレンジです」という訳文は何も言っていないに等しいのです。

中学一年生の、しかも英語を学び始めた子には、そのような宙ぶらりんな状態は耐えらないと先生が判断したか、あるいは先生も「オレンジ」なるものを知らなかったか、当時は…

「これはみかんです」

…と訳されたのです。

閑話休題…

さっき、さらっと書き流してしまいましたが、「死」には訓がない…ということは当時の日本人には「死」という概念がなかった…ということを意味します。だから「死」という漢字が入ってきたときにも「なに、それ?」って感じで「訓」をつけることができなかったのです。

▼日本人は「信じなかった」 

しかし、最初に書いたように『古事記』の中には「死」という漢字は使われています。これはどういうことなのでしょう。

これを考える前に、動詞についても見てみましょう。動詞も事情は、「海」や「字」などの名詞と同じです。日本にあった概念には、そのまま「訓」が当てはめられました。

たとえば「見(音=ケン)」という動詞が入ってきたときには、ああ、これは日本の「みる」だな…なんて風にです。

見る

では、日本に、そんな概念がなかったものに対してはどうしたか。

たとえば「信」

中国から「信」という漢字が動詞として入ってきたとき、当時の日本人はその意味するところが何がなんだかさっぱりわからなかった。古代日本人には何かを「信じる」とか「信仰」するということがなかったのです。

信仰がなかったなら、じゃあ、神もいなかったのかというと断じてそうではありません。「信」とは、今ここに「ない」ものを「ある」と思うことです。たとえば目の前の鉛筆を示されて「あなたは、ここに鉛筆があるのを信じますか」とはいいません。

皆、眼に見える神を考えていた」と折口信夫がいうように、古代日本人にとって神とは「見える」ものだったのでしょう。

アマゾン流域に住むピダハンの人たちのことを書いた『ピダハン』の著者ダニエル・L・エヴェレットは、ピダハンたちがみな「見える」という精霊を見ることができなかった。ピダハンの人には見えるのに、ダニエルには見えないのです。どっちが本当?精霊はいるのか、いないのか。

ダニエル、「わたしには、川岸に誰もいないとピダハンを説得することができなかった。一方彼らも、精霊はもちろん何かがいたとわたしに信じさせることはできなかった」と書きます。そう、これが「信」なのであり、精霊はいるし、いないのです。

ピダハン
ダニエル・L・エヴェレット (著)、屋代 通子 (訳) みすず書房
 
そして、ピダハンの人たちにとって、神や精霊がまさに「見える」ものだったように、古代の日本人にとっても神は「見える」ものでした。神を見ることができた古代人にとって「信」とはなんとも理解しがいものだったのです。

さて、そういう理解できない動詞には「す」「ず」をつけて「音」をそのまま使いました。高校時代に習ったサ変動詞ってやつですね。複合動詞。「信」の場合は「信ず(信じる)」という動詞を作りました。

こういう例は「感ず(感じる)」「愛す(愛する)」など案外たくさんあります。

現代ではカタカナ語も「コピペする」とか「ダウンロードする」のようにサ変動詞になりますね。

▼古代人は死なない

で、その流れで考えると「しぬ(死ぬ)」という言葉が変だということがわかるでしょ。

さきほど見たように「死」という漢字は「シ」という音(オン)だけしか持たない文字です。これを動詞にするならば、「信ず」とか「愛す」と同じようにサ変動詞をつけて「死す」になるはずです。で、実際に「死す」という言葉はありますね。

死す
「死」の動詞形は「死す」で「死ぬ」ではない

でも、「死ぬ」にはならない。

となると「死ぬ」って何なんだとなるのですが、あちこち寄り道しながらお話をしたので、いままでの話をちょっとまとめておきますね。

私たちは「しぬ」という言葉を書くとき、当然のように「しぬ」の「し」「死」という漢字を当て、「死ぬ」と書きます。そして「しぬ」というのは「死」という状態になることだと思ってしまいます。

しかし、「死」という状態になるのは「死す」であり「死ぬ」にはならない。すなわち「しぬ」の「し」は「死」ではないのです。

わお!ここら辺、もう何がなんだかわからなくなった…という人もいるかも知れませんね。 が、もうちょっとお付き合いください。

▼「しぬ」とは「しなしなになる」こと

ちなみに「死」という漢字は、人の骨(歹)とそれを拝する人(匕)から成る漢字です。

死
左が礼拝する人、右が骨

「死」
とは骨になることであり、漢字で「死者」といえば白骨化した死体を意味します。そのような状態になることが「死す」です。

しかし、昔の日本語の「しぬ」とは白骨とは全然関係ない言葉でした。

民俗学者の折口信夫は、古代の日本人には、今我々が考えているように死の観念はなかった、といいます。

折口によれば、「しぬ」は「死ぬ」ではなく、「萎(し)ぬ」だというのです。

「萎(し)ぬ」、すなわち「しなしなになる」ことが「しぬ」の本来の意味であり、白骨になるのとはまったく違います。心が撓ってしまい、くたくたになって疲れ果て、気力がなくなった状態が「しぬ=萎ぬ」なのです。

古代的な言い方をすれば、「たましひ」が身体から遊離してしまった状態です。心も体も疲れ果てて、頭も動かないし、体も動かない。魂が遊離してしまって、起き上がることすらもできない。それが「萎(し)ぬ」です。

そして、これとは逆に私たちが生きているということは、魂がこの肉体に入って、それこそ「いきいき(生く=活く)」と活動している状態をいいます。

「しぬ」とはたとえば、光と水を得て「活き活き」としていた植物が、陰に置かれ、水も与えられなくなり「しなしな」になった状態に似ています。そして、その植物が再び水を光を得れば「活き活き」となるように、「しぬ」となった人も、ふたたび「活き活き」となる、そう昔の人は思っていました。

実際、仮死状態になった人が生き返った例をたくさん目撃したはずですしね。

さて、まとめておきますね。

 ・古代の日本には「死」という概念はなかった
 ※だから「死」には訓がない 

・「しぬ」という言葉はあったけど、これは「死」ではなく魂が弱ってしなしなになる状態
 ※漢字を充てれば「萎ぬ」がいい

・稗田阿礼は『古事記』を語るときに「しぬ」といっていたのを、太安万侶が「"しぬ"のの"し"って"死"と同じ音じゃん」ということで「死ぬ」という漢字を充てた。

・それ以来、日本人も「しぬ」は「死ぬ」だと思うようになり、「死」を認識するようになった












てなわけで、太安万侶の「死」の当て字は、どうも恣意的な感じがするのですが、それはまたいつかお話することにしましょう。

この「死」の話は、まだまだ続きます。

次回は「そんなこといったって、実際に生き返らない人がいるでしょ」って話から始めます。

▼寺子屋のお知らせ

さて、「死」についてお話する寺子屋を開催しますので、そのお知らせです。 

***********寺子屋***********
「いのちと死」
 ゲスト:稲葉俊郎先生(東大病院循環器内科)
2015年12月7日(月)19時~21時  受講料:お賽銭※
東江寺(広尾) 東京都渋谷区広尾5-1-21

「いのちと死」をテーマに循環器内科の稲葉俊郎先生と安田が最初にミニレクチャーをし、そのあと精神科医の大島叔夫さんも交えて座談をします。どうぞふるってご参加ください。

当日の飛び込み参加も歓迎しますが、参加がお決まりの方は以下にメールをいただけると助かります。
info@watowa.net
※「受講料がお賽銭って結局、どうしたらいいの?」→お賽銭箱が置いてありますので適当な金額をお入れください。むろんゼロでも構いません。
★なお、寺子屋に関しての「東江寺」さんへのお問い合わせはご遠慮ください。
**************

イナンナ本small
(1)<-(2)-->(3)

イナンナと冥界(01)

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<安田登>

▼神話する身体

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先日の『イナンナの冥界下り』@セルリアンタワー能楽堂・蝋燭公演では本当にたくさんの方のお出ましに加え、感想もたくさんいただきました。

ありがとうございました。

この数年間「神話を読む」ということを行っています。この上演もその一貫です(来年3月の『海神別荘』も)。

「読む」といっても本を黙読するのではなく、それを声に出し、動きをつけ…と、<上演>という形で行っています。

なぜそのようなことをするのか、そしてどうやってするのかについては2008年に大修館書店の雑誌『言語』に一年間連載した「神話する身体(全12回)」に書きました。

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詳細はそちらに譲りますが(書籍化準備中…と言いつづけて早数年)、ざっくりいえば…

・その神話の言語(なるべく)そのままに、
・能の型付け、節付けの技法を使って、神話を神聖楽劇化し、
・それを演ずることによって自分の身体を使って神話を読む

…という試みです。

その過程で、神話の時代の人たちと現代人との間の違いにいろいろと気づきました。そしてひょっとしたらその時代のことを知ることは、これからの私たちの未来を考える上で大切なのではないかと思うようになりました。

(これもざっくり書けば)神話の時代はまだ「心」のない時代、すなわち<心の前の時代>です。

そして、現代の私たちは心を持ち、心によって喜びを感じ、しかし心によって死までも考えてしまう心が中心の<心の時代>に生きています。

そして、<心の前の時代>が文字の発生とともに終焉を迎えたように、ひょっとしたら<心の時代>もやがて終わり、次には<心の次の時代>が来るのではないかと思うようになったのです。そして、現代こそ、<心の時代>と<心の次の時代>の「あわい」の時代なのではないかと。

 ▼神話の時代と現代
 
そして、この時代の神話を読むと、現代との大きな違いがいくつもあることに気づきます。そのいくつかをあげると…

(1)「心」の有無
(2)女性の地位
(3)いのちと死
(4)論理

…です。

このうちの(1)の「心」の有無に関しては『あわいの力(ミシマ社)』に書きました。また、(2)の女性の地位に関しては『イナンナの冥界下り(ミシマ社)』に書きました。

 イナンナ本

神話の時代は、社会の中心に女性がいました。これはただ「女性中心社会」というような甘いものではなく、人々のものの感じ方、いや見方すらも現代とは全く違っていたのです。「どんな風に違っていたかというと」…なんて話を書きました。

で、実は『イナンナの冥界下り』の本に載せる予定が字数オーバーでカットしたのが(3)の「いのちと死」の問題です。

ちなみにこれは稲葉俊郎先生(東大病院循環器内科)をお迎えしての2015年12月7日(月)の広尾の寺子屋でも扱いたいと思っています。もし、このブログで興味を持たれ、さらに寺子屋開催日より前にご覧になられた方は、ぜひお出ましください。

寺子屋では、最初に稲葉先生と安田がおのおのミニ・レクチャーを行います。

稲葉先生がどのようなお話をするかはお楽しみですが、私(安田)は神話の中の「死」についてお話をしたいと思っています。結論だけいうと、少なくとも日本の古語には「死」がなく、『古事記』にも「死」はないのです(「しぬ」はありますが、これは「死」とは違います)。

そして、ふたりのミニレクチャーのあと、わいわいと対談をします。

昔の日本人は正月で年を取りました。正月とは、古い生を捨て、新たな生を迎える<時>だったのです。新たな年を迎え、新たに生まれ変わるためには、一度<死>についてじっくりと考える必要があります。そこには「生」のヒントもあります。

せっかくなのでお知らせを~!

▼寺子屋のお知らせ 

***********寺子屋***********
「いのちと死」
 ゲスト:稲葉俊郎先生(東大病院循環器内科)
 
2015年12月7日(月)19時~21時  受講料:お賽銭※
東江寺(広尾) 東京都渋谷区広尾5-1-21

※「受講料がお賽銭って結局、どうしたらいいの?」→お賽銭箱が置いてありますので適当な金額をお入れください。むろんゼロでも構いません。
★なお、寺子屋に関しての「東江寺」さんへのお問い合わせはご遠慮ください。

当日の飛び込みも歓迎ですが、参加がお決まりの方は以下にメールをいただけると助かります。

info@watowa.net

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▼大いなる虚構的真実としての冥界

さて、話がちょっと横にずれましたが、そんなわけで書籍『イナンナの冥界下り』ではカットされた「冥界」と「死」について、せっかくなのでブログでちょこちょこアップしていこうと思います。

神話の中の冥界や死を考えることは、古代人にとっての「死」や「死後の世界」について考えることであり、さらには私たちにとって「死」とは何かということを考えることでもあります。

現代人、すなわち「心の時代」の人々である私たちは、死は「ある」と思っています。すべての人の最後には死が待っている、それを疑う人はいません。ところが、「心の前の時代」の人にとっては、そうともいえなかった。死がなかったとはいいませんが、少なくとも死に対する考え方は私たちとは全然違っていました。

また、近頃でこそ「死後の世界」の存在を信じない人も増えてきましたが、「心の時代」の人々にとっては長い間死後の世界も「ある」ものでした。

シュメール人が死者の国(冥界)を「行きて戻らぬ国」と呼んだように、そこは行ったきりの世界、戻ってきた人のいない国です。臨死体験などもいわれていますが、あれは脳の生み出した幻影ではある可能性が高いとか。

すなわち冥界とは、その存在を立証することができない、永遠の心象でしかあり得ない国なのです。もし事実か虚構かといわれれば、「虚構」といわざるを得ない地です。

しかし、虚構でしかありえない国でありながら、ほとんどの文化は冥界のイメージを創り上げてきました。しかも、それらには多くの共通点がある。となると、これは単なる虚構と切り捨ててしまうことはできそうにありません。

虚構は虚構でも「大いなる虚構的真実」と呼ぶべきものです。

誰も戻って来ていないということは、その存在が証明できないのと同じく、絶対に存在しないということも証明できません。

「死」も「冥界」も、絶対にあるとも、絶対にないとも言い切れない。これからやってくる「心の次の時代」では、死も冥界もまったく違ったものとして認識される可能性があります。だからこそ、心の前の時代の人々の考えを知ることによって、いまの自分の常識を揺らがせてみたいのです。

というわけで、次回からは<心の前の時代>と<心の時代>との「あわいの時代」に書かれたものを読んでいきながら「冥界」と「死」について次から考えていきましょう。

イナンナ本small

--->(2)に続く(未)