イギリス、リトアニア公演から帰国しました。
安田先生のご報告で十分なのですが、「奈々福さんも書いてくれると思います」と、ツイートされたので(!)、座長とは違う、所属芸人の呑気な旅行記を書かせていただきます。
3年前から始まった「イナンナの冥界下り」プロジェクト。2014年の、二期倶楽部「山のシューレ」での初演以来、過去8回、を上演してきましたが、一度も同じバージョンでやっていないのです。
いろいろ試演し、欧州公演には、今までに上演したものの、ベストバージョンをもっていく!
……ということだったのですが、渡欧メンバーが、なかなか決まらない(笑)。
やっと決まったと思ったら、なんと欧州公演オリジナル、ニューバージョンで、安田先生が人形を遣ってイナンナを演じられるという(驚愕!)
お人形は、昨年秋に上演した、泉鏡花原作「海神別荘」公演@金沢21世紀美術館のときに、実験道場のダンサーたちや、子どもたちがかぶったお面を製作してくださった、造形作家の山下昇平さん。
でも、そのアイディア、聞いたときにものすご、躍動しました。人形が、まさしくお能の舞をするわけです。それって、もっともイナンナにふさわしい!
そしてできてきたお人形が……これがまた、すごかったのです。
それは、海外公演において、本領を発揮しました。
安田先生が黒子装束となり、本体を胸元にひっかけて、手を遣われます。
このイナンナに対して、冥界の女王であるエレシュキガルは、観世流シテ方の杉澤陽子先生。面をつけられ、闇の色の衣裳をまとわれ、こちらも外国人からみたら、五角形の、異形のものが来たと思われるような姿。
今回は国際交流基金の助成がおりなかったこともあり、ミニマムな編成で、一行は14人です。初演のときは40人近かったのではなかったかなあ。
先発隊は10日にロンドン入り、コーディネイターのロンドン大学、リチャード・ダンブリル先生と連絡をとりながら準備を進めてくれます。後発隊は、12日昼のブリティッシュ・エアで、ロンドンへ。
渡欧前に、字幕を含めた通し稽古は結局一度もできませんでした。だいたい、メンバーの一人、エレシュキガルの声を演じる辻康介さんはミラノから来ての合流だし。
でも、安田一座というのは、メンバーのヲノサトルさんいわく。
「安田組はいつもギリギリまで何も決まらないので、全てキッチリ事前に決定してないと不安になるタイプの人は胃に穴があくかもしれないが、当方のように「じゃ、まあ、現場で…」で大体のことを済ます人間にとってはじつに気楽なプロジェクトだ」
……と、のんきに構える人ばかりなので、さして慌てません。
「しかも安田さんの「出たとこ勝負」は、単に怠惰でギリギリまで決めないのではなく「"能"の世界では、事前に決めず集まったその場でセッションしていくのが流儀」という伝統的な根拠があるので安心だ(いや毎回不安です)
……のんき、そうに構える人ばかりなので、慌てません。
ところが、今回の企画の監修、翻訳、コーディネイト訳でいらした、高井啓介先生が直前にご都合で渡欧できなくなるという最大のアクシデント!
ここで、ヲノさんはつぶやきます。
「面白くなってきたぜ……」
……ま、なんとかなるさと思いながらロンドンに入り。高井先生にお願いする予定だった字幕オペレーションは、本来動画撮影担当のはずだった、笹目有花さんが担当することになりました。
13日は、本来ワークショップの予定だったのですが、連絡ミスでできなくなったので(よくもトラブルが重なるものよ)、もっけの幸い、自由時間になる……予定だったのですが、まずは打ち合わせ。冒頭のご挨拶をどのようにするか、私は文章を考えなければなりません。いつもはアドリブで勝手にしゃべってしまう奈々福ですが、今回は通訳の空伊ナディアさん(大臣ニンシュブル役、兼通訳、兼現地コーディネイト)に事前に原稿をお渡ししておく必要があります。
その他にも、字幕、パンフレット、台本、そして、現地調達の小道具類のこと。本番開始の時間までに詰めなければならないことは数かずあり。安田先生のお仕事量、ハンパではありません。
でもっ!!!
ロンドンまで来て、大英博物館も見られないなんて!!!
ホントは原稿書かなくちゃいけないけど、夜中にやればいいやってんで、一人で抜けだして大英博物館へ(あとで聞いたらみんなそれぞれ抜けだしてました)。
やっと来られた大英博物館。
見つけた見つけた、古代メソポタミアの部屋。ほんとはここでやりたいねっていう話も出ましたが、遺物はあってすばらしいけれど、ちょっと狭くてここではさすがに無理かな。
でも有名な、シュメールのエレシュキガル像、ウルの竪琴、スタンダード、公演前に間近で見られて、地図やお墓の構成が、副葬品やいろいろ……ぶわっとイメージふくらみました。

(ウルのスタンダード。ラピスラズリが美しい……)

(ウルの竪琴)
しかし、大英博物館、フリーなんです。なにより驚く。日本のショッピングモールを歩いているかのごとき、親子連れの多さ、混み具合。博物館が、こんなに身近なんですね。
夜。本来はWSをする予定だった、現場近くの場所で、通し稽古(初めて!)。
でも場所が狭くて本来の動きはできず。
いよいよ出たとこ勝負度はあがってゆく。面白くなってきました。
14日、公演当日。午前中、前日神隠しのように紛失した譜面台を買いに、街へ出る。ロンドンの中心部の街並みの美しさ。石造りの建物は古く、扉まわり、窓まわりのデザインが本当に洒落ています。
陽気なロケンロールのお兄ちゃんのお店で譜面台を無事getして、宿に戻ります。
お昼に、ロンドン大学のリチャードさんと、現場となるセナートハウスでお会いできることになり、安田先生と奥津さん、そして急きょ手伝いに駆りだされた、安田先生のご友人、ロンドン在住の五味さんと奈々福でお会いしました。
リチャードさんは、中近東音楽考古学がご専門。古代メソポタミアの竪琴の調弦について、英語で講義してくださいまして、私はちんぷんかんぷんでしたが、安田先生「I got it!」と大興奮。
現場のチャンセラーホールを、そっと下見。うつくしいホールです。
聞けば、けっこう予約が入っていて、120席ならべた会場、ほぼいっぱいになる予定とか! 安田先生から、「蜷川幸雄も、野田秀樹も、最初のロンドン公演は客が入らなかったのだ、ましてイナンナなどには……」と脅かされていたので、これにはびっくり。リチャード先生のご尽力のおかげです。しかも、大英博物館やロンドン大学のシュメール語専門家の方々も12名様ご来場予定という……安田先生、シュメール語、間違えられませんね(笑)。
5時に楽屋入り、からは準備あっという間! 私はニンシュブルの舞などに三味線をつけるのですが、屋内の超乾燥と、外の湿気と、寒暖差の激しさに、三味線の皮がやられないかひやひやしながらつないでおりました。
リチャード・ダンブリル先生のご挨拶に続いて、大英博物館のジョナサン・テイラー先生の解説があり、いよいよ開演。日本語とシュメール語の楔形文字と、英語が並ぶ字幕が投影されて、アンガルタ、キガルシェ、ゲシュトゥッガニ、ナーアングブ……がチャンセラーホールに響きます。日本からも、またパリからも来てくださったお客様もいらっしゃいます。
……お客さまの反応はすばらしかったです。リチャード先生と、ジョナサン・テイラー氏の興奮ぶり。楔形文字に描かれた世界が、声と姿をともなって目の前で立ちあがる……専門家の方たちにとって、それはどんな感じの体験だったのでしょう。
大英博物館のシュメール専門のJonathan Taylor 氏(@JonTaylor_BM)の、公演直後のツイート。
「the performance last night was really amazing @alyahudu. Unforgettable. We're all still buzzing about it. It brought the story to life in such a powerful and convincing way. All students and anyone else interested in Sumerian literature should see it. Is there a DVD?」
(『昨夜のパフォーマンスは本当にアメージングだった!忘れられない時間だったよ。まだみんな『イナンナ』についてバズってる!物語にあんなに力強くわかりやすいやり方で命を吹き込むなんて!シュメールの文学に関心がある学生でも誰でもみんなあの舞台を見るべきだ。ところでDVDはあるのかい?』高井啓介:訳)
それから、ナディアさんがあとからリチャード先生から聞いたのは、「ロンドン公演を見て、大映博物館のスタッフが主催しなかったことを悔やんでる(British Museum told me that they regretted not to have hosted you! )」との言葉。
ふふふ。
一般のお客様の感度の高さにもびっくりしました。声を褒めていただき嬉しかったです。
その夜は、祝杯。
15日、7時に宿を出て、ヒースローへ。ヘルシンキ経由、ヴィリニュスに移動。フィンエアは、機内がきれいで広く感じました。ヘルシンキからヴィリニュスは、なんとプロペラ機ですが、いまどきはもう揺れたりしないんですね。快適。安田先生は隣り合わせた怪しいイギリス人とずっとおしゃべりされてました。
到着、現地コーディネイターである、安田先生のご友人、グレタさんと会う。リトアニア公演のみ参加の、電子音楽のヲノサトルさんと合流。
ディナーはリトアニア料理。噂によると、リトアニアではビーバーの肉を食べるそうだと誰かが言い出して、盛り上がっていたのですが、グレタさんに聞くと「食べませんよ」。
噂はアテになりません。
しかし、リトアニア料理、感動的においしかったです。
(リトアニア料理の「ツェッペリン」(!)ジャガイモのもちもちの団子の中にひき肉。サワークリームや豚の脂のソースをかけて食べます)
16日、いきなり本番の日です。
当初はヴィリニュス大学が会場予定でした。ところが、渡欧2週間前に突然会場が使えなくなったという現地からの報せ。
聞けば、2月16日は、リトアニアに独立記念日だそうなのです。しかも独立からちょうど100年という、大変メモリアルな日だから、どこも閉じてしまうのだとのこと。
がーん。
な、はず。ところが、ここがわたしどもの呑気なところです。
行けばなんとかなるさ。寒くなければ外でやろうけど、さすがに-10℃じゃキツイから、どなたか個人宅でやらせてもらってもいいではないか。
安田一座にいると、こういう図太さが培われるという、効用があります。
渡欧10日前にグレタさんから連絡。場所が決定したとのこと、それが、な、な、なんと。
……国立劇場。
グレタさん、何者ですか。10日前に国立劇場を予約できるとは。
(国立ドラマ劇場正面の像)
その国立ドラマ劇場小ホールに午前中から詰めました。漆黒に塗られたすばらしい舞台で、客席数171。ところが、満席以上の予約な由。いや~びっくり。
グレタさん、何者ですか。10日間で180人集めるとは。
照明音響のスタッフもいらして、それも臨機応変に変えてくださる。リトアニア語で「ありがとう」は、「アチュ!」。ホントにスタッフの方々の陽気で身軽な対応に「アチュ!」でした。
そうなると、こちらも、ああしてみよう、こうしてみよう、その場限りの舞台がつくられていく!
漆黒のスクリーンに映し出された字幕の美しさ。中川学さんに描いていただいた絵が映えました。
この劇場で、釣るされたイナンナにスポットが当たるのを見て、ぎょっとしました。
日本でも、ロンドンでも、この人形を見てきたけれど、この劇場で、照明を当ててみると、昇平さんがつくったこの人形は、まるで能面のようにさまざまに表情を変えるのです。つるされているときは、瞼を閉じているようで、眠れるイナンナ……昇平さんの本領はこれか! ……驚きました。
(安田先生が遣っているのだが、黒子になっているので、後ろに誰もいないようにみえる!)
開演の15時までがこれまたあっという間!
この公演でも、東京から、ロンドンから、来てくださった日本人のお客様、何人も!
ロンドン公演で勢いづき、そしてこの劇場とスタッフとリトアニア料理のすばらしさに勢いづいたチーム安田、この公演は過去最大に前のめりで、勢いづきすぎて。
舞台上で、いっぱいいろんなことが起きてしまいました。
でも、それへの対応能力も、このチーム、高い。というか、必ず安田先生がなんとかしてしまう。
子方の一人が舞うときに、いつもは扇を持つのに、この日、粟の穂を持って舞いました。
粟の穂には、黄色と緑と赤のリボンが結わえてありました。
黄色は実りの色。緑は自然の色。赤は独立のために流された血の色。
この国の国旗の色です。
これを、開演直前に差し入れてくださったのは、フラワーアーティストの塚田有一さんご夫妻。ご子息様のシンイチさんがヴィリニュスに留学しておられるので、そのご縁もあり、東京から来てくださったのです。
終演後のご挨拶で、満席の客席に向かって、
「これは私たちからの、ささやかなお祝いの気持ちです。独立記念日、おめでとうございます」と申し上げる役を果たせたことは、とても光栄でした。
ブラボーの声。やはり、お客様がすばらしい。なかなか、帰らない。
プロジェクトのいちおうの最終公演として、我ながらとてもいい舞台だったと思います。
ディナーの前。暮れ行くヴィリニュスの旧市街を一時間ほど、みんなで散策しました。
極寒の中でしたが、世界遺産に登録された美しい町は、国旗の色のイルミネーションで彩られ、大勢の人がでていて、熱気がありました。ほんとうに、寒さを感じなかった。
美しい建物の窓からはあたたかい光が漏れ、中では大勢の人たちが食卓を囲んでおしゃべりしていた。おとぎの国を歩いているようでした。
ああ、せめてもう一日、ヴィリニュスで遊べたら!
翌日は九時半集合、すなわちタクシーに乗っけられ、ヴィリニュス空港からヘルシンキ経由、成田。ミッションは、完了しましたが、あーそーびーたりなかったようっ!
以上、広報部長からの報告でした。