イナンナの冥界下り

シュメール神話『イナンナの冥界下り』や天籟能の会のためのブログです。

2017年01月

伝統芸能の力を思い知る集い

伝統芸能の力を思い知る集い

~能、狂言、浪曲~

 

伝統芸能


伝統芸能は、なぜこんなにも長い間、続いているのか。
 

「そりゃあ、国から助成金とかいっぱいもらっているからでしょ」


 そう思うのは大間違い。たとえば私たちが毎年開催している「天籟能の会」は、今まで一度も助成金をいただけていません。浪曲の会も同じ。日本は伝統芸能に対して、冷たいというか、薄情というか、なんともスパルタな国なのです(一部のものは除く)。


ならば、なぜ?


 それはもちろん(!)伝統芸能には、すごい力や魅力があるからです。国からも地方自治体からも時代の流れからも冷たいあしらいを受けながら、持ち前のパワーで数百年の命脈を保っています。
 

むろん、伝統芸能によってその魅力や力は違います。同じ伝統芸能とはいえないほど全然違います。でも、その底流には現代の「消費文化」とか違う何かが流れているのです。今回は『イナンナの冥界下り』を支える3つの伝統芸能、「能」、「狂言」、「浪曲」の魅力を一気に体験していただきつつ、その力を思い知っていただき、さらには伝統芸能の底流に流れている何かを考えていきたいと思います。
 

参加者による座談会や、みなさまによるプチ体験もございます。

 

☆☆☆ 記 ☆☆☆


2月21日(火)
19時~ 東江寺(広尾)


入場料:3,000円(てんらい会員は1,000円引き)
※限定 70名 

 

~出 演 予 定
 

能 :安田登、 槻宅聡(能管)
 

狂言:奥津健太郎、 奥津健一郎
 

浪曲:玉川奈々福、曲師(未定)

 

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ご予約は…

・event@inana.tokyo.jp
・080-5520-11339時~20時)

…までお願いいたします。 

2017年1月の寺子屋

今年から寺子屋の情報も、こちらのブログに書いていくことにします。

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▼1月の寺子屋:1月17日(火)、31日(火曜)
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今月の寺子屋は両方とも火曜日になってしまいました。すみません。

東江寺(広尾) 東京都渋谷区広尾5-1-21
 ※広尾駅2番出口 下車5分くらい
 地図はこちら 
受講料:お賽銭(お賽銭箱にご自由にお入れいただきます)
時 間:19時から(だいたい2時間)

▼新春スペシャル寺子屋

今年最初の寺子屋(17日:火曜日)は、バイオリンの本郷幸子さん箏の北川綾乃さんをお招きしての新年スペシャルバージョンです。

おふたりによる演奏と、そして音楽のお話があります。

お話には安田も参加します。また、おめでたい祝言の謡(うたい)も謡いましょう。

***演目(予定)***

モーツァルト / 春への憧れ
宮城道雄 / 手事
宮城道雄 / 春の海
日本古謡 / さくらさくら

飛び込みも歓迎ですが、参加お決まりの方は info@watowa.net へメールをお願いします。

お待ちしてます!

明解する「冥界」その3 急の段

イナンナの「明解」下り(3) 急の段

『イナンナの冥界下り』を明解に解説する「イナンナの「明解」下り」の3回目。今回は「急の段」、女神イナンナが甦りますよ~。

シュメール語の高井啓介先生にチェックをしていただきましたが、文責は安田登です。写真は田島空さんに撮っていただいたものと、ビデオカメラからのキャプチャーを使いました。

イナンナ3

●全体の構造
またまた全体の構造を復習しておきましょう。今回は、この中の「急の段」です。

プロローグ イナンナ女神への憑依儀礼(神降ろし)
序の段 女神イナンナ 冥界に赴く
序の1段さまざまなものを捨て、7つの「メ」を身につける
序の2段大臣ニンシュブルに後事を託す
序の3段冥界への道行き
破の段 女神イナンナ、冥界の女王エレシュキガルに死を賜る
破の1段イナンナ、冥界に到着し、エレシュキガルの怒りを招く
破の2段7つの「メ」が剥がされる
破の3段弱い肉となったイナンナは冥界の釘に吊り下げられる
急の段 イナンナとエレシュキガルの甦り
急の1段ニンシュブル、神々のところに行く
急の2段クルガラ、ガラトゥル、冥界に行く
急の3段イナンナとエレシュキガルが甦る
エピローグ 神送り

▼急の段 イナンナとエレシュキガルの甦り 

●ニンシュブル、神々のところに行く

イナンナの大臣ニンシュブルは、イナンナが残した言葉のそのままに、体を引き裂き貧しき者のごとき姿で、哀歌を歌いつつ、神々の神殿を徘徊し、まずエクルのエンリル神殿に参り、そこで大神エンリルの前で涙を流し、大きな声で泣いた。しかしその願いが聞き入れられなかったニンシュブルは次に大神ナンナの所に参ったが、やはりダメだった。最後に参ったのは大神エンキのところ。

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<激しく泣くニンシュブル>
 
SnapShot(52)
<さらに激しく泣く>

●クルガラ、ガラトゥル、冥界に行く

大神エンキは、爪の泥からクルガラガラトゥルの二体を作り、命の草命の水を授けて冥界に遣わした。クルガラとガラトゥルを演じるのは子方(子ども)。クルガラは奥津健一郎、ガラトゥルは笹目美煕です。

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<エンキの爪の垢から作られたクルガラ、ガラトゥルは冥界に向かった>

gala-tur kur-ĝar-ra ĝišig nim-gin7 mu-un-dal-dal
(ガラトゥルとクルガラは蝿のように扉を飛び)
gala-tur kur-ĝar-ra za-ra lil2-gin7 mu-un-gur-gur
(ガラトゥルとクルガラは「風」のように柱を回った)

イナンナを助ける精霊たちが「蝿(nim)のように扉を飛び」と聞くと「え~、ハエ。やだ~」と思う方もいらっしゃると思うのですが、ハエは決して悪いものではありませんでした。アッカド語の『ギルガメッシュ叙事詩』には神にかたどった「大きな(偉大な)ハエ」のラピスラズリの首飾りを掲げる…などという表現もあります(第11書板163行目:George版)。

また、「風(lil2)」の方は「霊」と訳してもいいし、「息」と訳してもいい。ヘブライ語の「ルアフ(רוּחַ )」やギリシャ語の「プネウマ(πνεῦμα)」と同じですね。

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<”風(霊、息)”のように柱を回る>

SnapShot(60)
<ふたりは冥界に着いた>

●クルガラ、ガラトゥルとエレシュキガルとの会話

冥界に着いたクルガラとガラトゥルはエレシュキガルと不思議な会話をします。

クルガラ、ガラトゥル(以下、クル、ガラ):いかに申し上げ候。
エレシュ:u-u8-a šag4-ĝu10(ああ、私の内が)
ク  ル:おお、哀れなるかな御身の内が。
エレシュ:u-u8-a bar-ĝu10(ああ、私の外が)
ガ  ラ:おお、哀れなるかな御身の外が。
エレシュ:
a-ba-am3 za-e-me-en-ze2-en(お前は誰だ)
ク  ル:我が内より御身の内へ。我が外より、御身の外へ。
エレシュ:
a id2-bi ma-ra-ba-e-ne(川いっぱいの水を与えよう)
ガ  ラ川を満たす水なりとも。我が賜はるべきものにてはなく候。
エレシュ:
a-šag4 še-ba ma-ra-ba-e-ne(畑いっぱいの大麦を与えよう)
ガ  ラ 畑を満たす大麦なりとも。我が賜はるべきものにてはなく候。
クル・ガラ:ただあの釘より吊るされたる死体を賜り候へ。
エレシュ:
uzu niĝ2 sag3-ga ĝišgag-ta la2(釘に吊るされた死体?)
ク  ル:なかなかのこと。
エレシュ:
uzu niĝ2 sag3-ga ga-ša-an-zu-ne-ne(釘から吊る下げられた死体はお前たちの女王だ)
クル・ガラ:我が王であれ、我が女王であれ、ただただ賜り候へ。


●イナンナとエレシュキガルが甦る 

イナンナの死体をゲットしたクルガラ、ガラトゥルは、そこに命の水と命の草を注ぎます。するとイナンナは甦り、なんとエレシュキガルも元気になるのです。

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<甦ったイナンナとエレシュキガル>

●イナンナの舞

甦ったイナンナは喜びの舞を舞います。舞の詞章は、中川学さんのイラスト(ページの最初)の左側に書いてある楔形文字『イナンナ賛歌』)を元にしています(詳しい説明はこちら)。原文はエメサルという女性や神官が使う言葉ですが、それを普通の言葉(エメギル)に直しています。

den-lil2-e an ma-an-ze2-eĝ3(エンリルは私に天を与えた)
den-lil2-e ki ma-an-ze2-eĝ3(エンリルは私に地を与えた)
me-e dinana an-en(私はイナンナ)
ma-ra diĝir teš2 mu-da-sa2-a(私に比すべき神はいない)

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<榊を手にして舞うイナンナ(右)>

69
<「私はイナンナ。私に比すべき神はいない」>

●エレシュキガルの舞

続いて冥界の女王エレシュキガルも舞を舞います。エレシュキガルの舞は「序之舞(じょのまい)」という能の舞です。

「序之舞」では、最初に「序」という特殊な足遣いがあります。これは陰陽師や山伏などが行う「反閇(へんばい)」「禹歩(うほ)」などの呪術的な足遣いを模したものとも言われています。

通常は能管(笛)と小鼓、大鼓、あるいは太鼓も加わっての舞になりますが、今回は能管とヲノサトルさんのアナログシンセによる冥界の風のようなノイズ。しかし「序」の間は能管だけで、静寂の中、緊迫感を持って舞われました。 

72
<序の足遣いをする冥界の女王エレシュキガル>

088inana 087inana
<ヲノサトル(左)、槻宅聡(右)>
086inana 085inana

090inana

悠々たり悠々たり。太だ悠々たり。
生まれ生まれ。生まれ生まれて 生の始めに暗く
 
    【序之舞】青柳

杳々たり杳々たり。甚だ杳々たり
死に死に。死に死んで 死の終りに冥し
 
女神はパラの衣を着し
女神はパラの衣を着して
シャガンの器を油で満たし
溢るる思ひは身をくだく
千々に乱るる胸の火の
日も夕暮れになりぬれば
パラの衣の長き袂を
翻し翻し袖を返せば
返す命は常盤木の
永遠(とわ)の恵みをイナンナに与え
エレシュキガルはむばたまの
冥き道行く冥界の
冥き道行く冥界の塵の
霞にまぎれて失せにけり

▼エピローグ 神送り 

『イナンナの冥界下り』の舞台は、「よりまし」にイナンナの霊を憑依させるところから始まりました。このような芸能の場合、最後に憑依した神さまを送る「神送り」の儀式が必要になります(大相撲でも最終日に「神送り」が執り行われます)。

この舞台で神を送るのは神官コロスの役割。叙事詩の最初の詞章を謡いながらイナンナを送り、憑依を解きます。

077inana
<神官とコロスによる「神送り」>

明解する「冥界」その2 破の段

イナンナの「明解」下り(2) 破の段

『イナンナの冥界下り』を明解に解説する「イナンナの「明解」下り」の2回目。今回は、冥界でイナンナが殺されてしまう「破の段」についてお話をします。

シュメール語の高井啓介先生にチェックをしていただきましたが、文責は安田登です。写真は田島空さんに撮っていただいたものと、ビデオカメラからのキャプチャーを使いました。

イナンナ3

●全体の構造


最初に全体の構造を復習しておきましょう。今回は、この中の「破の段」です。イナンナが死んじゃうところですね。

プロローグ イナンナ女神への憑依儀礼(神降ろし)
序の段 女神イナンナ 冥界に赴く
序の1段さまざまなものを捨て、7つの「メ」を身につける
序の2段大臣ニンシュブルに後事を託す
序の3段冥界への道行き
破の段 女神イナンナ、冥界の女王エレシュキガルに死を賜る
破の1段イナンナ、冥界に到着し、エレシュキガルの怒りを招く
破の2段7つの「メ」が剥がされる
破の3段弱い肉となったイナンナは冥界の釘に吊り下げられる
急の段 イナンナとエレシュキガルの甦り
急の1段ニンシュブル、神々のところに行く
急の2段クルガラ、ガラトゥル、冥界に行く
急の3段イナンナとエレシュキガルが甦る
エピローグ 神送り

▼破の段 女神イナンナ、冥界の女王エレシュキガルに死を賜る

●冥界の祭り

今回の上演では原典にないところを一箇所入れました。「冥界の祭り」です。

イナンナが冥界へ旅立つと、舞台の上は真っ暗になってしまいます。イナンナが冥界に行くと、地上は闇になりあらゆる生殖活動が止まってしまい、地上が死の世界になってしまうのです(日本の天岩戸神話に似ていますね)。

でも、その代わりに元気になるのが冥界。冥界では「冥界祭(クル・ヌ・ギ祭)」が執り行われています。

ワンポイントシュメール語講座! by 高井啓介先生
シュメール語で「冥界」を意味する表現の一つにクルヌギというものがあります「kur(kur地)nu(nuない)+ gi4(gi4帰)」で、「帰らざる土地」(land of no return)。基本的に冥界に入ったら帰ることはできません。当たり前ですが。

クルヌギはただ単にクルと呼ばれることもあります。

『冥界下り』の物語のなかでは、破の1段(83行目)で、冥界の門番ネティが…

a-na-am3 ba-du-un kur nu-gi4-še3(なぜあなたはクルヌギなんかにまで旅をしてきたの?)」

…とイナンナに問いただす場面があります。序の1段では、冥界は「ki-gal(キガル(大いなる地))」とも呼ばれていましたね。いろいろな呼び方があったようです。

冥界は人間が死んだら誰でも行かなければいけない場所。それはしょうがないとあきらめていました。でも、あまりそのなかでの出来事についてつきつめて考えようとはしなかったようで、「クル・ヌ・ギ祭」はあったかもしれませんが、残念ながらシュメール語のテキストにその様子は書かれていません。

暗闇の中をごにょごにょ動くのはコロスたち。この場面で彼らは冥界の裁判官アヌンナ諸神になっています。

SnapShot(12)
<暗闇の中をごにょごにょ動くコロスたち>

少し明るくなると舞台の真ん中には円筒状のものが出現します。実はこれは巨大な「円筒印章」をイメージしています。

SnapShot(15)
<円筒状のものはイナンナとエレシュキガルを描く円筒印章>

「円筒印章」とは円筒状になった印鑑です。これを粘土板の上にごろごろしてハンコにします。舞台上にある円筒印章は、イナンナとエレシュキガルを描いた円筒印章です。

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<女王の竪琴の持ち主と言われるプ・アビ女王の円筒印章:本当は小さいです>

舞台上の円筒印章を広げてみると、お馴染(このページの最初)の中川学さんが描かれた絵になります。お客様にお披露目。

SnapShot(16)
<円筒印章を広げると、この図になる>

「冥界祭」では、相撲をはじめ、さまざまな格闘技が行われています。

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<右後ろでは空手で板を割っている。それに驚く冥界の裁判官たち>

SnapShot(17)
<神事で格闘技といえば、やはり相撲>

SnapShot(20)
<「えいっ」と投げられたと思ったら…>

SnapShot(18)
<両手で体を支えて耐える…って手がついたらむろん負けですが(笑)>

相撲をとっているのは冥界の裁判官たち。演ずるのは実験道場のメンバー。我妻良樹、城ノ脇隆太、蛇澤圭佑、(平田雅大:コロスとして参加)。行司冥界の門番ネティ役をする、やはり実験道場の蛇澤多計彦。

※シュメールの祭礼に相撲などが行われていたという記述はありません。相撲は日本の国技と思われていますが、中国や韓国でも行われていました。今回は犬吠えもしました。典拠は『日本書紀』)です。冥界の人たちは隼人の役です。
秋七月壬辰朔甲午、隼人、多來貢方物。是日、大隅隼人與阿多隼人相撲於朝庭、大隅隼人勝之(天武天皇11年
)。
是以、火酢芹命苗裔、諸隼人等、至今不離天皇宮墻之傍、代吠狗而奉事者矣。(神代下段第10段一書)。

…なんて遊んでいると突然、能管の高裂音(ヒシギ)が響き渡り、冥界の女王エレシュキガルの登場が知らされます。

●エレシュキガルの登場

薄暗がりの中を、冥界の女王エレシュキガルが悠々と登場します。エレシュキガルの役はシテ方観世流杉澤陽子(はるこ)。声はワキ方の安田登です。

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<暗闇の中、冥界の女王エレシュキガルが登場する>

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<「エレシュキガル様のおなりでございます」。後方のコロスたちは礼をする>
 
・イナンナの到着

「帰らざる道」を歩み続けたイナンナは冥界に着き、冥界の門番ネティ(蛇澤多計彦:実験道場)に、「自分が到着したことをエレシュキガルに伝えよ」と命じる。

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<イナンナ、ネティに自分の来訪をエレシュキガルに伝えよと命じる>

ネティの声は浪曲師の玉川太福。下・左の写真後方で立っています。でも、これだと誰だか全然わからないので終演後の写真も。
太福 113inana
<右の写真、左:玉川太福、右:蛇澤多計彦>

・エレシュキガル怒る

イナンナの来訪を聞いたエレシュキガル怒りをなし、「冥界の7つの門を閉じ、そのひとつひとつをイナンナに開けさせ、そして門ごとに「メ」を剥ぎ取れ!」 と門番ネティに命じる。

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ĝa2-nu dne-ti i3-du8 gal kur-ra-ĝu10来なさい、ネティ。我が冥界の門を守る者よ)
 ネティ:御前にござりまする。
abula kur-ra 7(imin)-bi ĝišsi-ĝar-bi ḫe2-eb-us2(冥界の7つの門をかんぬきで閉じよ)
 ネティ:は。冥界の七つの門を閉じ。
e2-gal ganzer dili-bi ĝišig-bi šu ḫa-ba-an-us2(大いなるガンゼルひとつひとつ門を手で押させよ)
 ネティ:ひとつひとつをイナンナ様に空けさせましょう。
e-ne ku4-ku4-da-ni-ta gam-gam-ma-ni (彼女が入ったあとでひざまずき)
tug2 zil-zil-la-ni-ta lu2 ba-an-de6(服をはがされたあとで人に持っていかせよ)
 ネティ:門のひとつひとつで「メ」を剥ぎ取ること。確かに承りました。


・7つの門で7つの「メ」を剥ぎ取る

門番ネティは、エレシュキガルの命令通りに7つ門を閉じてイナンナの訪れを待つ。

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<人間で作られる冥界の門>

 030inana
<門を通ると「メ」が剥がされる:これは烏帽子:šu-gur-ra men edin-na野で頭を守る被り物

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<イナンナだって黙ってはいない。ネティを打ち据える女神イナンナ>

SnapShot(41)
<しかしパラの衣を剥ぎ取られると…>

023inana
<さすがのイナンナも弱ってしまう。ちなみに裸です>

・死のまなざし

冥界の女王エレシュキガル玉座を蹴って立ち上がり、冥界の裁判官アヌンナ諸神たちは「死のまなざし」をイナンナに向け、女神イナンナは「弱い肉」にされてしまう。

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<玉座を蹴って立ち上がったエレシュキガル>

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<アヌンナたちは「死のまざなし」をイナンナに向ける>

・冥界の釘

「弱い肉」となったイナンナは冥界の釘に吊り下げられた。

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<冥界の釘に吊り下げられる女神イナンナ。ちなみにイナンナ、裸です>
 
・エレシュキガルも弱まる

イナンナだけでなく冥界の女王であるエレシュキガルも弱ってしまう(なぜ?)。

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<弱って柱にすがりつくエレシュキガル>

明解する「冥界」その1 序の段

イナンナの「明解」下り(1)

2016年12月27日(火)にセルリアンタワー能楽堂(渋谷)で上演した『イナンナの冥界下り』にお出ましいただいた皆さま、本当にありがとうございました。また、いらっしゃれなかった皆さま、次回はぜひお出ましください。

この舞台は、もともとが古バビロニア時代、すなわち紀元前2千年紀前半(2000−1500年頃)に書かれたと思われる古代の叙事詩(神話)を元にしていますので、ちょっとわかりにくいところもございます。舞台の流れに沿って『イナンナの冥界下り』の意味などをお話してみたいと思います。

シュメール語の高井啓介先生にチェックをしていただきましたが、文責は安田登です。写真は2016年12月の公演を田島空さんに撮っていただいたものと、ビデオカメラからのキャプチャーを使いました。

題して『イナンナの「明解」下り』
※このタイトルは物理学者の江本伸悟さんが「冥界下り」と打とうとしたら「明快下り」と誤変換されたというツイートを見て、それ頂戴しました!

イナンナ3
※このイラストは中川学さん画。絵の解説はこちらにあります。(1)(2)(3)

『イナンナの冥界下り』は全412行で長大な叙事詩(神話)です。私たちの上演では、その前半部分である284行を、能楽の「序・破・急」の構造に当てはめてお送りしております。

全文をお読みになりたい方はこちらでどうぞ。
シュメール語→ETCSLのTransliteration
英訳→ETCSLのTranslation

●全体の構造

…というわけで上演用の全体の構造をまずは紹介しておきましょう。

プロローグ イナンナ女神への憑依儀礼(神降ろし)
序の段 女神イナンナ 冥界に赴く
序の1段 さまざまなものを捨て、7つの「メ」を身につける
序の2段 大臣ニンシュブルに後事を託す
序の3段 冥界への道行き
破の段 女神イナンナ、冥界の女王エレシュキガルに死を賜る
破の1段 イナンナ、冥界に到着し、エレシュキガルの怒りを招く
破の2段 7つの「メ」が剥がされる
破の3段 弱い肉となったイナンナは冥界の釘に吊り下げられる
急の段 イナンナとエレシュキガルの甦り
急の1段 ニンシュブル、神々のところに行く
急の2段 クルガラ、ガラトゥル、冥界に行く
急の3段 イナンナとエレシュキガルが甦る
エピローグ 神送り
※ちなみに省略した後半部分は、冥界から地上に戻ったイナンナが身代わりを探すお話になります。それはそれでとても面白いのですが、それまですると上演時間が4時間ほどになってしまうので泣く泣くカットです。

今回は全体の中から「プロローグ」「序の段」についてお話をします。

●始まる前の舞台
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始まる前の舞台には中央に牛頭の竪琴、その後ろには能の作り物で「宮(みや)」と呼ばれるものが置かれます。右奥には何やら怪しいキーボード群も見えて、普段の能の舞台とはだいぶ違う趣きです。

●シュメールの竪琴

舞台の真ん中にど~んと鎮座ましますのは、牛頭のシュメールの竪琴です。

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竪琴の解説 by 高井啓介先生

この牛頭の竪琴は『女王の竪琴』ともいわれ、現在大英博物館に展示されています。

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<大英博物館蔵の竪琴>

ウルのスタンダードの饗宴の場面の最上段の右端にもこの竪琴を持った楽人が描かれています。

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<ウルのスタンダード。右上に注目>

この楽器はウルのプ・アビ女王の所有物だと思われ、彼女の墓の副葬品として発見されました。1927年にレオナルド・ウーリー卿が発掘し、1928年に大英博物館が取得しています。竪琴が作られたのは紀元前2600年頃のようです。竪琴にあしらわれている牛の頭部の目と髪とあご髭は遠くアフガニスタンから運ばれたラピス・ラズリ(瑠璃)でできていました。胴体部分は楽器の共鳴板になっていました。

この竪琴、最初はイラク(シュメールのあった国)大使館経由で、イラクの職人さんに作成を依頼していたのですが、ご存知の通り、それどころではなく、今回はアメリカのハープ製作者に本体の作成を依頼し、牛頭部分は日本でお神輿や文化財の修復などもされている方に依頼して作成しました。音階や演奏方法などは研究中ですので、今回は演奏はできませんでした。

●神殿

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<この写真は東雅夫さんのツイートから拝借>

竪琴の後にあるものは、能では「作り物」と呼ばれているものです。ほとんど舞台装置を使わない能の中で使われる数少ない舞台装置のひとつです。「作り物」にはいくつかの種類がありますが、これは「宮(みや)」と呼ばれるもの。

今回は、これが神殿や宮殿を現しますが、 イナンナの神殿冥界の神殿も両方ともこれです。舞台が天上世界ならばイナンナの神殿になり、冥界ならばエレシュキガルの神殿になります。「文脈でわかれ!」というのが能の方法です。

では、いよいよ舞台が始まります。 

▼プロローグ イナンナ女神への憑依儀礼(神降ろし)

●「よりまし」と神官の登場

SnapShot(0)
<神官と尸童(よりまし)>

薄暗い灯りの中、能管(能の笛)の音に引かれるようにして登場するふたり。向かって左は神官(安田登:能楽ワキ方)。もうひとりの怪しい人はコロス(合唱)の衣装を着ていますが、今回、イナンナを演ずる役者、尸童(よりまし)です(奥津健太郎:能楽狂言方)。神官は、コロスらとともにイナンナ女神を神降ろしして、この尸童(よりまし)に憑かせます。

能の『翁』や、チベットの『ケサル王』の叙事詩など、古代の神聖祝祭劇では、舞台の上で神が「よりまし」に憑依し、そして憑依された「よりまし」が、神として神を演じるということがよく行われます。今回の上演では、「よりまし」が舞台の上でコロスの衣装を脱いで、神であるイナンナの姿に変容して、イナンナを演じます。

登場して最初に謡うのはシュメール語『イナンナの冥界下り』の冒頭部分です。楔形文字で書くとこうなります。

angalta

…が、このままでは「何が何だかわからない」という人が多いので、以下、シュメール語の原文はアルファベットで書きます。これだと発音ができるでしょう?

an gal-ta(アン・ガル・タ:大いなる天より)
ki gal-še(キ・ガル・シェ:大いなる地へと)
ĝeštug-ga-ni(ゲシュトゥグ・ガ・ニ:彼女の耳を)
na-an-gub(ナ・アン・グブ:立てた)


女神イナンナは、「大いなる天」から「大いなる地(冥界)」に行こうと決めるのですが、このときに「彼女の耳を立てた」という表現が面白いですね。本来なら「心を向ける」とすべきところですが、私たちの思う「心」がない時代のお話なので、内面の「心」ではなく、身体の「耳」を向けています。

ちなみになぜイナンナが冥界に行こうとしたのかの理由はどこにも書かれていません

また、この謡は上演中に何度も繰り返して唱えられますので、覚えてしまうと上演中に口ずさめます(笑)。

・コロスの登場


続いて登場するのはコロス(合唱)たちです。

コロス(χορός)とは、古代ギリシア劇の合唱隊のことです。ギリシア劇の中では、劇の背景やあらすじ、あるいは登場人物の内面などを語りますが、私たちの上演では主に「地の文」を語ります。そういう意味では能の「地謡(じうたい)」に近いでしょう。しかし、能の地謡がずっと座っているのに対して、ギリシャ劇のコロスは、身体表現もし、仮面もつけていました。今回も動くし、仮面をつけているので、やはりコロスかな…。

コロスたちは冒頭部分の詞章(アン・ガル・タ…)を呪文のように低吟しながら登場し、「よりまし」の周りをぐるぐると回ります。その間に女神イナンナが「よりまし」に憑依して、やがて物語が始まるのです。

062inana
<コロスたちは「よりまし」の役者の周りをぐるぐる廻って憑依を促す>

061inana
<コロスの衣装から女装に代わり女神イナンナとなった役者:中央>

ここでコロスのメンバーを紹介しておきましょう。本ブログでもお世話になっているシュメール語の高井啓介先生や浪曲師の玉川太福さんも参加しています。

大島淑夫、大金智、金沢霞、笹目有花、高井啓介、玉川太福、塚田里香、中川善史、名和紀子、松山記子(五十音順)


▼序の段 女神イナンナ 冥界に赴く

・捨てていく
 
冥界に心(耳)を向けた女神イナンナは、いよいよ冥界に向かいますが、そのために自分を祀るさまざまな神殿や、神官としての地位を捨てて行きます

コロスたちはšub(シュブ:捨てる)」mu-un-šub(ム・ウン・シュブ:捨てる)」などの言葉を強い音で発し、これからさまざまなものを捨てていくことを示します。

nin-ĝu an mu-un-šub ki mu-un-šub kur-ra ba-e-a-ed
(私の主人は天を捨て、地を捨て、冥界へと下った)
inana an mu-un-šub ki mu-un-šub kur-ra ba-e-a-ed
(イナンナは天を捨て、地を捨て、冥界へと下った)
nam-en mu-un-šub nam-lagar mu-un-šub kur-ra ba-e-a-ed
(エンの地位を捨て、ラガルの地位を捨て、冥界へと下った)
unug-ga e-an-na mu-un-šub kur-ra ba-e-a-ed
(ウルクのエ・アンナを捨て、冥界へと下った)
bad-tibira e-muš-kalam-ma mu-un-šub kur-ra ba-e-a-ed
(バド・ティビラのエ・ムシュ・カラマを捨て、冥界へと下った)
zabalam-a gi-gun-na mu-un-šub kur-ra ba-e-a-ed
(ザバラムのギグナを捨て、冥界へと下った)
adab-a e-šar-ra mu-un-šub kur-ra ba-e-a-ed
(アダブのエ・シャラを捨て、冥界へと下った)
nibru-a barag-dur-ĝar-ra mu-un-šub kur-ra ba-e-a-ed
(ニップルのバラグ・ドゥル・ガラを捨て、冥界へと下った)
kiš-a hur-saĝ-kalam-ma mu-un-šub kur-ra ba-e-a-ed
(キシュのフルサグ・カラマを捨て、冥界へと下った)
a-ga-de-a e-ul-maš mu-un-šub kur-ra ba-e-a-ed
(アッカドのエ・ウルマシュを捨て、冥界へと下った)

ここでちょっとワンポイントシュメール語講座! by 高井啓介先生
イナンナが捨てたエ・アンナとかエ・ウル・マシュとかの「エ」は、本当はex150話)ではなくて、e2E2です。エ・アンナはウルクにあるイナンナのe2(家)、エ・ウル・マシュはアッカドにあるイナンナのe2(家)のことです。

シュメール語で他に「エ」と発音する単語にはe3E3出)もあります。

日本語でも「エ」ということばには「絵」「江」それに「荏」「会」なんかもありますね。それと同じこと。もちろんシュメール人が「エ」とか「エの2」とか「エの3」とか言ってたわけではなくて、日本語と同じで文字で書き分けてました。読み方は全部「エ」です。現代の研究者が文字の読み方を発見するたびに、2とか3とかをつけていきました。だから、e
2ではなくてeで別にいいんです。

これまでにも、これからもシュメール語本文がアルファベットで書かれますけれど、もしかしたら、šeはše
3のことかもしれません。edはed3なのかも!ĝu に至ってはĝu10かもしれないんです!!でもいちいち数字を振るのはめんどくさい!数字は下付きにしなきゃだし!!だからブログではそういうことを基本的にはぶいてあります。本当のところをちょっと覗き見してみたいという方は、さっきのリンク(ETCSLのTransliteration)をクリックしてシュメール語本文を確認してみてください!

・7つの「メ」
神殿や地位を捨てたイナンナは、冥界に向かうために7つの「メ」を身につけます。「メ」というのは、あるいは「神の力」、あるいは「霊力」などと言われています。 

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<「メ」を持ってくるコロスたち:このコロスは実験道場の面々>

舞台の上ではコロスたちが「me mu-un-ur-ur(「メ」を探す)」を何度も何度も繰り返して謡っています。「長いなぁ…」と感じる方もいらっしゃるでしょう。あるいは呪文のような繰り返しに半分あっちの世界に行ってしまう方もいるでしょう。それが神聖祝祭劇なのです。

さて、イナンナが身につける7つの「メ」は以下のものです。

šu-gur-ra men edin-na(野で頭を守る被り物)
na-za-gin di-di-la(小さなラビスラズリ)
na-nunuz tab-ba(卵形のラピスラズリのビーズ)
pala tug nam-nin-a(女主人の衣装のパラ)
šembi lu he-em-du he-em-du(「男よ来い、男よ来い」という眉墨)
 tu-di-da lu ĝa-nu ĝa-nu(「男よ来い、男よ来い」という胸飾り)
har kug-sig(金の腕輪)
gi-diš-nindan eš-gana za-gin(測り棒と測り縄)

5番目の「男よ来い、男よ来い」という眉墨(シェンビ)。前回は舞台上で眉墨を書きましたが、今回は狂言面でそれを表現しました。

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<左から「測り棒と測り縄」、「首飾り」、「金の腕輪」を持つコロス>

SnapShot(5)
<神官が「メ」をつけている間、「メ」を持つコロスはなぜか踊っています(笑)>

SnapShot(6)
<すべての「メ」を身につけた女神イナンナ>

また、「メ」に関しては、過去のブログや『みんなのミシマガジン』にも書きましたので、どうぞ~。
http://inanna.blog.jp/archives/1031419592.html
http://www.mishimaga.com/coffee-issatsu/013.html

 ・ニンシュブルに託す

冥界に赴こうとする女神イナンナは、大臣であるニンシュブル(Junko☆:実験道場)を呼び、「もし自分が三日三晩帰られなければ神々のもとに行くように」と託します。上掲の原文では28~72行の部分です。

長い…。

一昨年に「山のシューレ」@二期倶楽部で上演したときにはすべてやったのですが、さすが長すぎるので、今回はちょっと省略しました。それでも長い。

SnapShot(7) 祈り
<イナンナに呼ばれて馳せ参じるニンシュブル。彼女の手は礼拝の形>

SnapShot(10)
<イナンナに後事を託されるニンシュブル>

ちなみに女神イナンナの声を担当するのは声楽家の辻康介。そしてニンシュブルの声は浪曲師の玉川奈々福です。

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<辻康介(左)・玉川奈々福(右)>

・冥界に向かう

7つの「メ」を身につけ、そしてニンシュブルに後事を託した女神イナンナは冥界へと旅立ちます。

帰らざる道を辿り辿り
  あらゆる地位や神殿を捨て
行くも帰るもこれやこの
  7つの霊力を身につけ
逢う人もなき黄泉の坂
  イナンナはただひとり
行けばほどなくむばたまの
  冥界への道を辿りつつ旅を続けた

酉歳の名言(中国古典より)

にわとり
<甲骨文字の「鶏」>

あけましておめでとうございます。

旧年中は『イナンナの冥界下り』『海神別荘』天籟能の会、そして寺子屋をはじめ、さまざまなワークショップにお出ましいただき、まことにありがとうございました。

今年もいろいろな企画で、皆さまのご来駕をお待ちしております。

さて、酉歳にちなみ「鶏」に関する章句を中国の古典の中から三つほど選んでみました。

(1)鶏の五つの徳

鶏には、「文」・「武」・「勇」・「仁」・「信」5つの「徳」があるという『韓詩外傳』の言葉です。

・頭の上には冠を載せる、これは「文」
・足であるいは打ち、あるいは防ぐ、これは「武」
・敵を前にしたら敢然と戦う、これは「勇」
・食べ物を得たら仲間に告げる、これは「仁」
・夜を守り時を失わない(必ず暁に時を告げる)、これは「信」

「首戴冠者、文也。足搏距者、武也。敵在前敢鬥者、勇也。得食相告、仁也。守夜不失時、信也。雞有此五德。」出典『韓詩外傳』

「鶏には五徳がある!」と覚えておきましょう。 

(2)鶏とともに起き、善をなす

「雞鳴而起、孳孳為善者、舜之徒也」出典『孟子』(盡心上)

(書き下し文)鷄鳴きて起き、孳孳(じじ)として善を為す者は、舜の徒なり

(意味)鷄が鳴くと起き、せっせと善をなすものは聖人舜の仲間である

孔子が「何もしないのに国を治めることができた聖人(無爲而治者)」として挙げた「舜(しゅん)」。その舜のようになるには、鶏とともに起きて、せっせと善となすことだ、と孟子はいいました。

ちなみに「善をなす」の「善」とは、いまの「よい」とはちょっと違います。『論語』の中では「善」「美」の上位概念として使われています。この両者、中に「羊」がありますね。生贄として使われる神聖な動物が「羊」です。

「美」とは、その立派なものをいいます。そして、「善」とは立派であるだけでなく「羊神判」にも使われるような、さらに神聖な羊をいいます。

ちょっと話をはしょると「善」というのは、声なき声の人々の声を聞き、それに従うことをいいます。あるいは集合的な無意識に従うことといってもいいでしょう。「俺が、俺が」の個に固執せずに、せっせと人のために尽くす、それが「孳孳(じじ)として善を為す」ですね。

(3)双葉山、白鳳で有名になった「木鷄」

「鷄雖有鳴者、己无變矣。望之似木鷄矣、其德全矣」出典『荘子』達生、『列子』黄帝 

(書き下し文)鷄鳴く者有りと雖(いえど)も、己(おの)れ變(へん)无(な)し。これを望むに木鷄に似たり。其の德、全(まった)し。
※「己(おのれ)」は「已(すでに)」と書く本もあります。

(意味)(闘鶏を育てるとき)ほかの鶏で鳴くものがいても、この鶏は動じることがなくなった。これを遠くから見ると木彫りの鶏のように見える。その徳は完全なものになった。

これはかつは双葉山が、そして近くは白鳳が引用して有名になった章句です。

闘鶏の調教の話です。調教が進み、かなり強そうになったのですが、調教師は「まだ」だといいます。その強さは空元気「俺が、俺が」が見えるからです。

さらに調教をして、もういいだろうというと、やはり調教師は「まだ」だといいます。敵を見ると興奮するからです。さらに調教しても、まだ「だめ」という。敵をにらみつけようとするからです。

そして、この「木鶏(木彫りの鶏)」の境地になったとき、これと戦おうとする鶏もいなくなり、みな元のところに戻ってしまったといいます。この話は、『荘子』と『列子』に載っています。

本年が皆さまにとって、よりよい年となりますよう、心より祈念しております。