多分、、高井先生、、間違っていたらすみませんーーー!!!
これは次回持ち越しです。
シュメール神話『イナンナの冥界下り』や天籟能の会のためのブログです。
日ごとに涼しくなる季節。
てんらい会員の皆様には、お元気でお過ごしでいらっしゃいますでしょうか?
11月13日の「イナンナの冥界下り」セルリアンタワー能楽堂公演、いよいよ明日に迫りました!!!
昨日は能楽堂で最終の申し合わせ(ゲネプロ)!!!
初演の二期倶楽部の場所とは、広さも高さも違うので、新たに振付をしなおしたり、フォーメーションを変えたり。舞台装置も変わります。
また出演者にも若干の異動があり、地謡の人数が増え、子方も、初演時は一人でしたが、今回は二人入ります。
初演時から参加の子方、笹目はるきくんに加えて、もう一人の子方は、奥津健一郎くん。ネティ役、狂言の奥津健太郎さんのご子息で、すでに狂言師として活躍し ておられます。はるきくんとともに、妖精のクルガラ・ガラトゥルを演じます。この二人の躍動感ある舞は、今回のみどころの一つです。
毎度お稽古しながら、これはジャンルわけ不能の作品だなあと感じます。その作品に、早くから多くのご予約をいただき、あっというまに昼夜がいっぱいになりました。
6月の初演とは、まるで新しい作品になるような感じですが、どんな場になるか、演者それぞれが力を注ぎ、場をつくります。
また、2月公演、4月公演の日にちが決定いたしました。
2月は16日、銀座・デザインセンターにて。
4月は13日、浅草・西徳寺さんにて。
チケット発売については、決まり次第、お知らせをいたします。
また、「能楽」「ダンス」「発声」「シュメール語」「浪曲」の各ワークショップも大勢様のご参加をいただいております。
日程の詳細は、こちらのblogにて随時お知らせしております。
「無意識の大海になる~能楽堂公演に向けて~」安田登
『イナンナの冥界下り』の第一回東京公演が、いよいよ来る11月13日(金)にセルリアンタワー能楽堂(渋谷区)で行われます。
現 在読み得る世界最古の神話のひとつである『イナンナの冥界下り』は、おそらくは古代の語り部たちによって「祀りの場(にわ)」で語られた作品だったのでは ないでしょうか。平安時代の有職故実書である『江家次第』には大嘗祭における語り部たちの声は「其音似祝、又渉哥声」と書かれています。『イナンナの冥界 下り』の語り部たちも同じく歌うような、また祝詞のような声で神話を語ったのでしょう。
そのような物語を上演するには能楽堂というのは最高の場所です。
▼能楽堂で無意識の大海になる
能楽堂というのは不思議な空間です。
フランスの劇作家ポール・クローデルは、能の舞台を「客席の海に迫り出している舞台」と表現しました。そして能の物語はその舞台の上ではなく「すべてが観客の内部で進行する」と書いています。
能の舞台は海に浮かぶ小島のように客席の中にぽつんと存在しています。この舞台構造によって、能の舞台と観客とは互いに入り込み合い、そしてその結果、能の物語は舞台の上ではなく「すべてが観客の内部で進行する」ようになるのです。
能 楽堂の客席に座ったとき、観客はいわゆる「客」ではなく、能という物語を構成する「海」、すなわち物語の無意識の一部となります。そして、「橋掛かり」と 呼ばれる長い廊下を伝って遠い隠世(かくりよ)から現われる何者か等が、その無意識に浸入し、ともに神話の世界に入っていくのです。
というわけで、この公演では舞台を「観る」なんて姿勢はすっぱりと捨て、この神話の共演者、共犯者になってください。
▼半覚半睡でどうぞ~
さて、今回はできるだけ原作に忠実に上演します。
…ということは「長い」ということです。なんといっても古代人の時間感覚ですから。
そして、蝋燭能で行います。
…ということは「暗い」ということです。
長くて、暗い。寝ちゃうかも知れません。でも、その半覚半睡の状態こそ無意識の海です。本当に寝ちゃうのはもったいないですが、半覚半睡はむしろ歓迎すべきことです。
どうぞ気楽に、そして怪しくお楽しみください。
なお、この作品は、今回の能楽堂公演を皮切りに、日本デザインセンター(2月16日)、西徳寺(4月13日)で公演を行う予定です。劇場以外での公演を中心に行っていこうと考えています。また、毎回、趣向が変わります。音楽も台本も変っていきます。
何度もお運びいたければ幸せ、これに過ぎたることはございません。
祀りの場(にわ)ですので、本当はお酒でも飲みながら、また焚き火でも囲みながらの上演がいいので、いつかそういう上演もしたいなと(秘かに)思っております。ちなみにシュメールのお酒は麦酒です。
(やすだ・のぼる 下掛宝生流ワキ方)
「イナンナと我らの地獄下り」槻宅聡
「地獄下り」を重要な主題としている詩人、入沢康夫をご存知でしょうか。代表作の一つ、『わが出雲・わが鎮魂』の「あとがき」で詩人はこんなことを言っています。
現実の出雲が私の意識にとって一種の大切な「地獄」であるように、この『わが出雲・わが鎮魂』は、これまた一種の「地獄下り」の体験として、忘れたくても忘れられぬ苦い思い出になるのではないかと思っている。
出 雲とは松江市を中心とする島根県東部地域の総称。入沢さんは島根県松江市の生まれで、隣接する安来市出身の私にとって同郷の先輩です。出雲地方出身者が皆 同じように感じているわけではないと思いますが、出雲が「大切な地獄」であるとは、入沢さんと私の共通した実感です。同じ「あとがき」でも述べられている ように、入沢さんは松江市の生まれではありますが一家は別の場所から移り住んで来られた由で「半ば他処者、半ば土地っ子」という境遇だったようです。出雲 は保守的・閉鎖的な土地柄ですから苦労があったことでしょう。生え抜きの土地っ子である私でさえ、この面には閉口することがあります。また出雲は「神話・ 伝説の土地」としてもよく知られていますが、観光宣伝用の口実として語られることがほとんどで、土地の人は必ずしも神話や伝説に親しんでいるわけではあり ません。こんなところに対する入沢さんの苛立ち、愛憎両面が『わが出雲・わが鎮魂』には垣間見えます。
しかしまた「現実の出雲」そして「一種の大切な『地獄』」という留保付きの表現を見逃してはなりません。地獄下りのもう一つの面は、創作に関わる姿勢なのです。
入 沢さんは「詩は表現ではない」と力説します。これは「詩の作品は、作者があらかじめ抱いたしかじかの感慨や印象を、読者に伝達するための手段ではない」と いう意味です。詩人も読者も、詩を書く・読むことを通じて何かを発見する、そんな意味生産の「現場」が詩作品なのだ、というのです。そこは根源的な何かが 不可欠です。それを見いだすために行う「地獄下り」は、出自などの個人性(現実の出雲)を絡めながら、集合的無意識の領域(神話)に踏み込んで、あえて自 らを危地に追いやることが必要なのです。
能 楽師たる私にとって「地獄」とは、言うまでも無く、能楽の舞台であり作品であり、実演です。舞台から楽屋へ引き上げてきたとき、舞台上で何が起きていたか 記憶がないこともしばしばあるのはトランス状態に近いからかもしれません。耐えがたい足の痛み、周囲から押し寄せる声と音響のエネルギー、視線のストレ ス、これらの中で見え隠れする何かを一瞬とらえることができたとき、それは必ずや自分一人に起きているのではなく、共演者や観客席の人々と共有しているは ずだ、そんな確信があります。ですからもちろん能楽を観るという行為もまた、入沢さんが言うような意味生産の行為に他なりません。
さて、『イナンナの冥界下り』で共演する私たち、ご覧になるお客様にはどんな地獄が待ち構えているのでしょうか。ふるいつきたくなるほどの憧れと、むかつく嫌悪を抱きながら、心うち震えて歩みをすすめることにいたしましょう。 (つきたく・さとし 能楽師 森田流笛方)
参加者27名。今回も啖呵のお稽古から始まります。
初回のお題は「ああなりまして、こうなって、こうこうしかじかで、こうなった」。
二回目のお題は「江戸は神田お玉が池、北辰一刀流の道場を開いております、千葉周作の門弟、平手造酒」
……でありました。こう書いただけでは、いったいどこが難しいのか、どういうお稽古をしているのか、わからないでしょうねえ、うふふ。
これを、みなさん、息もたえだえになるほど、腹の力を振り絞って、言う稽古をするのです。第三回目はその復習から入りました。
そして、第三回目の新しい課題は、「ちょうど時間となりました」です。
語り芸の間合い、挨拶一つで、人を引き込む呼吸のことなどをお話し、実際にやっていただきました。
まずはご挨拶から。
「ご来場賜りまして、あつく、お礼申し上げます。○○○○(自分の名前)と申します。演題は、『阿漕が浦』お時間まで!」……これを、ぎゅうぎゅう聴衆を引っ張りながら言えるか。
そして、啖呵をつづけて行ったところで、絶妙の間で「ちょうど時間……」を入れる。
浪曲の、始まりと、終わりの形をつける稽古。これが語り芸の極意です。
度胸をつけるために。一人一人、舞台でやってみてもらいました。目の配り、身のこなしの稽古でもある。
そして、私の三味線と、沢村豊子師匠に弟子入りしたばかりの典子さんの三味線で、外題づけ(浪曲の、一番最初の節)のひとふしを、うなってみるお稽古。
さあ、どんどんディープな浪花節世界に入っていきます。次回からは、どっぷり節のお稽古です!