前の記事にも書きましたが、ワークショップ前半の講義については後日、テープ起こし後にアップいたしますので、まずは後半の粘土への楔形文字刻みについて。
今回、粘土板に刻むのは『イナンナの冥界下り』の冒頭部分。これがお手本。
(1)高井先生から、まずは粘土と芦ペンが配られ、粘土を袋から出します
(3)芦ペンの使い方の説明
…てなわけで、皆さん、まずは楔形を自由に刻めるようになる練習をしました。
(6)さあ、完成
●次回は10月26日(月)です。※すみません。現時点で満員です。
シュメール神話『イナンナの冥界下り』や天籟能の会のためのブログです。
8月から始まりましたイナンナWS!
次回 9/24で、2回目。来年2月迄全7回のWS、「心と身体を結び、時空を超える声」と題した”発声講座”です。
声、毎日使うコミニュケーションツールですが、声ってなんだろう、身体と心から、どのように、どこへ発せられるのか?
日本語の「こえ(声)」の語源は、”超える” ” 乞う” であり、漢字の「声」は、古代中国の神の声を呼ぶ楽器である”磬”(ケイ=)の形からできた! 現代の概念と異なり、「声」
は礼楽で用いられるものであり、現代のように人から人へのものではなく、人から神や霊に用いられたものであったようです。
(礼楽=現在で言うなら、お経やレクイエムに近く、私が楽しんで音楽する、などと異なる)
声を使い、歌うこと。それは目に見えない存在に向かい、声で超え、訴える(うったう=歌う)こと。世界的に稀有な芸能、能楽と同じように、対象は異界にあり、声や歌は、そこに向かいます。
洋の東西を問わず、本来 ”歌” は、礼楽でありました。ニーチェの”神は死んだ” また”産業革命”あたりから、理性が触れることができないものは、見えなくなったようです。我々は、トトロや真っ黒クロスケを見る力を失いました。で、本来の”聲”を失ったようです。
「声」の旧字体である”聲”の文字には耳があります。声が身体から溢れるためには、聞こえにくい内なる音が聞こえる必要があります。空海の云う” 全てものには、音がある。その音を聞くことだ ”(『声字実相義』より) 、そしてその響きを聞くことができれば、身体から谺(こだま)するように、声がやってくるかもしれません。
そんな声を取り戻すことで、私たちの身体も本来のつながりを取り戻し、その身体から溢れる声は、人から人へ、世界へ、異界へ、と、さらに沢山のものを結ぶことになるのではないでしょうか。
耳と、そして発声器官が、人間を新たなフェーズにいざなう鍵のようです!
身体の繋がりを知り、異界へ繋がる声を探す講座。自分の知らない身体と声に出会えるかも知れません。ワクワク……。
(こうざい・かつあき 指揮者。『イナンナの冥界下り』地謡頭)