『海神別荘』のストーリー(1)

海神別荘狂言版チラシ表S

▼『海神別荘』狂言版

今月(10月)28日(金)に上演する『海神別荘』の物語を少しずつ書いていきます。

『海神別荘』は泉鏡花の戯曲(演劇の台本)の最高傑作のひとつといわれています。確かに芥川龍之介をはじめ多くの人が大絶賛をしているのですが、しかし泉鏡花の生前には一度も上演されなかったという幻の戯曲でした。 

それは舞台設定が海底の宮殿であったり、この世のものがひとりも登場しなかったりと、上演が非常に難しい要因がさまざまあるからです。

初演は泉鏡花が亡くなって15年以上も経った昭和30年(1955年)。新派によって上演されましたが、それは鏡花の台本をかなり変えたものでした。

現在では玉三郎が泉鏡花の台本をほぼそのままに上演しており(さすが!)、シネマ歌舞伎でもその上演を観ることができます。

私たちも今年(2016年)3月に、泉鏡花の台本をほとんどそのままに(一部カット)、しかし能の形式を使って上演をしました。

で、今回の上演は、その「狂言パロディ」版です。

狂言には、能をパロディにした作品が多くあります。たとえば六条御息所(みやすどころ)の生霊が光源氏の正妻である葵上(あおいのうえ)を呪い殺そうとするのを、横川(よかわ)の小聖(こひじり)という聖(ひじり)が守るという能『葵上』があります。

このパロディの狂言『梟(ふくろう)山伏』では調伏される相手は六条御息所ではなくフクロウの精霊。同じく『くさびら(茸、菌)』ではキノコの精霊たち。これがいっぱい出るのです。舞台狭しとチョコチョコ歩き回るキノコの精霊にお客さは大笑い。

まじめな人が聞いたら「源氏物語に依拠した能『葵上』のパロディをするなんて、なんて不謹慎な!」と怒ってしまいそうな設定ですが、これが能と狂言との関係なのです。しかも調伏は失敗して、山伏は最後には笑われて終わります。

どんな深刻な事態でも、それを遠い将来から見れば笑いになる。悲劇の裏には喜劇がある。

悲劇と喜劇、悲しみと喜びは表裏、すなわち「つがい(番)」。だから「組」ですることが大事、というわけで「番組」で上演するのが能と狂言なのです。

そんな能と狂言の関係を引き継いで、今回は泉鏡花の『海神別荘』を狂言風に演じてしまおうという趣向です。でも、実は泉鏡花の台本は一部カットはしますが(そして狂言回しの部分は加えますが)書き換えたりはしません

さて、それでどうやって狂言版になるのでしょうか。それは観てのお楽しみに~。

▼銀座のカフェーからはじまります
 
舞台は大正時代の銀座のカフェーから始まります(この部分はオリジナルです)。

ぐでんぐでんに酔っ払った泉鏡花先生。先生を介抱する馴染みの芸者

泉鏡花を演じるのは文芸評論家の東雅夫。実は東さんには最初、解説をお願いしたのですが、そのあまりの美声に「せっかくなので出演してください」とお願いし、泉鏡花役として出演願ったのです。

そして馴染みの芸者はご存知、玉川奈々福(浪曲師)です。 

銀座のカフェーの給仕は、芝居もできるダンスユニット「実験道場」の面々です。 

さて、先日(10月4日)の寺子屋では「実験道場」の面々がダンスを披露してくれました。ちなみにメンバーのひとり、りゅうたはギネス保持者で、ちょうどこの寺子屋の日にギネスの自己記録を更新しました!


というわけで、寺子屋での実験道場の面々のダンスの一部をご覧いただきましょう。はじめて桧舞台の上を足袋で踊ったので、いつものダンスとはちょっと違っていますが、しかしそれをうまく利用しているところはさすがです。


そう、泉鏡花の『海神別荘』なのにこんなダンスが披露されます。

▼鏡花先生、泥酔の理由

さて、ぐでんぐでんに酔っ払った鏡花先生。その理由は『海神別荘』の上演がまたしても中止になったからです。

そのことで芸者にからむ鏡花先生。でも、芸者としてはどんな話なのかわからなければ慰めようもないし、コメントのしようもない。

「よし、それならば」と鏡花先生は『海神別荘』の朗読を始めるのです。

…ということで、物語がはじまります。

<続く>

●ちなみに次の寺子屋は10月13日(木)です。
場所:東江寺(広尾)
   東京都渋谷区広尾5-1-21
受講料:お賽銭
10月13日(木)19時~
飛び込みも歓迎ですが、参加お決まりの方は info@watowa.net へメールをお願いします