▼自分の「死」は認識できない

前回は…

古代日本語で「しぬ」は「死ぬ」ではなく、魂が遊離して、しなしなになるという「萎(し)ぬ」であった

…ということを書きました。

古代の日本語に「死」という言葉も、その概念もなかった。人は、しなしなになる「しぬ(萎ぬ)」と、元気になる「いく(活く)」とを永遠に繰り返す存在であり、恒久的な「いく(活く)」もなければ、恒久的な「しぬ(萎ぬ)」もない、そう昔の日本人は考えたのです。

「そうは言ったって、古代の人だって生き返らない人がいたのは事実でしょ」

確かにそうです。

…で、今回はこれについてふたつの視点からお話しましょう。

まずは自分自身の死、それから他者の死です。

▼自分自身の死は認識できない

死者の国を「大いなる虚構的真実」だと前に書きましたが、「死」も「大いなる虚構的真実」です。なぜなら、僕たちは他人の「死」を見ることはできても、自分の「死」を体験することはできないからです。

弘法大師 空海が…

生まれ生まれ生まれ生まれて
生の始めに暗く
 
死に死に死に死んで
死の終りに冥(くら)し

…と書いたように、僕たちにとって自分の「生の始め(誕生)」「死の終わり」は暗闇であり、認識をすることができません。

たとえばよそ見をしながら歩いていて電信柱にぶつかったとしましょう。「電信柱にぶつかった」と気づくのは、電信柱にぶつかったあとです。当たり前ですね。

電信柱

で、(おそらく)「死」もそうです。いくら他人が「この人はもう死ぬ」と言ったって、本当に「死」が実現されるのは死んだときでしかない。「あなたはもうすぐ死にます」と言われて、自分も「ああ、このまま死ぬんだな」と思いながら、そのまま意識が絶えても、「あれ?」ってまた目覚めることだってあります。

自分が「死んだ」ということがわかるのは「死んだあと」なのです

だから、もうこれは永遠にわからない。

まあ、ほんとはね、まだ、自分がその状況になったことがないから断言はできないのですが、僕たちは自分の「死の瞬間」を認識することができないんじゃないか、そしてそうであるならば「死の絶対性」を、少なくても自分自身の体感からは確信することができないんじゃないか、そう思うのです。

▼能には果てあるべからず


実は、自分が死ぬ瞬間にそれが認識できるかどうかを知るために、その練習として、たまに「眠りに落ちる瞬間」を認識してみようとしているのですが、これがなかなかうまくいきません。「その瞬間をGETしよう、GETしよう」とトライしながら眠るのですが、いつもその瞬間は覚えていないのです(寝つきがいいというのもあるかも知れませんが:笑)。

能を大成した世阿弥は…

「命には終わりあり。能には果てあるべからず」

…といいました。

これは「客観的事実としての"命"には終わりがあるかも知れない。だが、能を演じている自己という"主観的事実"には果てがない」という意味です。

能の演者の多くは最後の最後まで現役です。舞台の上で亡くなる人もいます。その人にとっては死というものは存在しない。旅に病んでまでも、夢で枯野を駆け巡った芭蕉のように、いつまでも舞台の上で舞い続けているのです。

▼他者の死

自分の死の認識は難しいとしても、僕たちは他者の死はたくさん実見していますね。

それは古代の人だってそうでしょう。人のこともあれば、犬のこともある。牛のことだってあれば、植物のことだってあった。

が、そう考えるのは「死がある」と思っている現代の僕たちだからです。「他者の死」といったって「死」そのものがなければ、他者の死もないのです。

…なんて言葉尻をとらえるのはやめて、さて、では僕たちは、何をもってそれを「死」とするのでしょうか。

人間に限っていえば、昔だったら「息を引き取る」、すなわち呼吸の停止が「死」でした。

また、ちょっと前までは、お医者さんが臨終の人の側にいて、息が止まったら聴診器を心臓に当てて、「ご臨終です。何時何分です」といい、その時間を死亡診断書に書き込み、これをもって「死」としました。

私事で恐縮ですが、僕が最初に人の死を意識したのは小学校1年生のとき。祖母の死でした。このときの記憶は、その後、いろいろと考える要素が多いのですが、それはさておき、文字通り「息を引き取る」というような静かな死でした。

「息を引き取る」というコトバが、実感として生きていた時代の話です。

また、エイズにかかったタイの人を看取ったときも、そうでした。都内某病院でしたが、もう痛み止めが効かなくなっていたので、ずっとマッサージをしていたのですが、「もう、大丈夫」と言って、その数秒後に息を引き取りました。これも静かな死でした。

身寄りのない彼の場合は、そのまま死亡と診断されましたが、ふつうのケースならば、そこでさらに機械的に呼吸をさせたり、心臓に電気ショックを与えたり、心臓マッサージをしたり、脳の活動も停止したかなどを調べたりして、やっと「死」として認定されるということも多いでしょう。

現代人が、それを「死」と認定するのはなかなか大変なのです。

しかし、これらだって時代が変わればどうなるかわからない。

そういうことによって診断された「死」ですら、「確実な死」ではないことは、脳死の議論などからも明らかです。

僕たちは、何かをもって「死を知る」のではなく、何かによって、それを「死と定義」しているだけなのです。心臓が止まり、息も止まり、脳が活動を停止した時点をして「これを死であるとしよう」と決めているのです。

▼死者がしゃべる

さて、いまここに(現代的にいえば)死んでいるように見える人がいるとします。

が、もし彼が自分に語りかけてきたらどうでしょう。それもはっきりと。

横たわる

現代人ならば、それを「幻聴」だといって片付けるでしょう。しかし、古代の人だったら、それを「い(活)きている」と思ったのではないでしょうか。

「人に口なし」といいます。口がある人、すなわち言葉は話す人は「死人」ではないのです。

「死人がしゃべったりするものか」というでしょう。あるいは目の前の死者の声が聞こえる人は、精神的に病を抱えている人だけだ、そういう人もいるでしょう。

しかし、昔は死者どころか山川草木、あらゆるものがしゃべっていたようです。

「大祓詞」というものがあります。6月と12月の大祓のときに読まれる祝詞(正確には祝詞とはちょっと違うのですが)です。

その中に…
荒振(あらぶる)神等をば神問はしに問はし給ひ。
神掃へに掃へ給ひて。
語(こと)問ひし磐根(いわね)樹根立(きねたち)、
草の片葉(くさは)をも語(こと)止めて…
…という句があります。

この祝詞によれば、かつては岩や樹木、草なども言葉をしゃべっていた

想像してみてください。山道を歩いていると岩や木や草までもがぺちゃくちゃおしゃべりしている。うるさいですね。都市の音楽もかなりうるさいですが、植物、自然におしゃべりされたら、もうめちゃくちゃうるさい。

もちろん、このおしゃべりはいわゆる言語的なおしゃべりとはちょっと違ったおしゃべりでしょう。日本の古典音楽やジャズなどをしている人は言語を使わない会話というが普通に成り立つことを知っています。自然のおしゃべりがそうだというわけではありませんが、言語的なおしゃべり以外のおしゃべりもあるのです。

ま、それはともかく、こうしたおしゃべりを止めたのが天孫である瓊々岐(ににぎ)の命(みこと)です。荒ぶる神々を掃討したことによって、岩や木や草のおしゃべりが止まったと大祓詞にはいいます。

そうなのです。岩や樹木や草などの「自然(naure=φυση)」は、天孫によって掃討された荒ぶる神らの一党に属する存在で、天孫=「人間が作った(art=τεχνη)秩序」「自然(naure=φυση)」に勝った瞬間です。

▼罰はあるけど法がない

自然のコトバを封印した天孫たちは「こころ」を持つ人たちであり、「こころ」を持たぬ<まつろわぬ>人たちを「荒ぶる神々」として説得、駆逐していったんではないかと思うのです。

あ、ちなみにここでいう「こころ」というのは、ふだん使う意味とは違うので、はじめての方は以下もお読みください。

【イナンナと心の時代】

「こころ」を持つ人たちの特徴は、文字を使うこと。すなわち言語を定着させる能力を持つことです。

コトバは世界を分節化しますが、文字はその分節化を定着させます。さまざまな事象が明瞭になるんです。

正邪を分け、善悪が分けられる。ルールもできる。

ちょっと余談…

子どもたちが一本の線の上をあっちとこっちから歩いてきて、出会ったらジャンケンしていたのですが、当然、負けた方がその線から降りて、また端から歩いて…となると思ったのですが、全然違った。

ジャンケンしてから、「う~ん、どうしようか」とルールを考えているのです。「こころ(文字)」以前の子どもたちの遊びです。

これってアマテラスとスサノオの「うけひ」を思い出します。

これはいわば「刑」や「罰」はあるけれども「法」はない、というのと同じです。いまだったら絶対変です。が、古代ではこれが普通のことなのです。だからこそ法を制定した「ハムラビ法典」も「ウル・ナンム法典」も、そして中国の法家も革命的だったんです。

「おお、そうか。先に法を作っておけばいいんだ!」って。

あ、この「作る」というのは正確にいえば違いますね。若松英輔さんの『イエス伝』に…
「預言」は戒律を含む
という一文があります(p.32)。

「法」というのは、神の仲介者である預言者が、預言を通じてこの世にもたらした。すなわち法は、人が考えたのではなく神よりの預言です。

「え~、そんな~。預言だなんて」という方。

でも、これは中国の法家が人為を排する道家から出たことや、法の本字「灋」が神審の際に用いられる犠牲の神羊、「廌」に由来することとも呼応するのです(が、あまり深入りしないことにします)。

法_金文
(「法」の金文)

▼自然や死者が声を取り戻すとき(1)

さて、話を『古事記』に戻しますね。

大昔の人には聞こえていた山や川や草木や岩の声、すなわち「荒ぶる神々」のおしゃべりは、天孫の秩序の力によって止まりました。

このとき、死者も沈黙したのです。

が、それがまた復活してしまうときが『古事記』には二度あります。

一度は、天照大神が天岩戸に隠れてしまったときです。

天孫の代表である天照大神がいなくなれば、そりゃあ「荒ぶる神々」はまたおしゃべりを始めますね。
故(かれ)ここに天照大御神、見畏(み・かしこ)みて、天の石屋戸を閇じて、刺しこもり坐(ま)しき。爾(ここ)に高天原皆暗く、葦原の中つ國、悉(ことごと)に闇し。此れに因りて常夜(とこよ)往く。ここに萬(よろづ)の神の聲(おとなひ)は、狹蠅(さばえ)なす滿ち、萬の妖(わざわひ)悉に發(おこ)りき。
よろづの神の声が<狭蝿(さばえ)なす>満ち」というのがすごいですね。

<狭蝿なす>は「五月蝿なす」とも書かれます。旧暦の五月(梅雨の時期)に無数の蝿が出現し、ぶんぶんと耳を聾して五月蝿(うるさ)い。

ちなみにこの時代の人は、死体に群がる蛆も「ころろく(ころころ音がする)」と表現します。気持ち悪っ。

▼暗闇の声

さて、天照大神が隠れたあと「高天原皆暗く、葦原の中つ國悉に闇し」というのも注目したいところです。

「暗」にも「闇」にも「音」が入っています。暗闇は音と関係があります。神々は闇夜に「音」のみさせて(文字通り)おとずれるのです。

この「暗」「闇」は視覚的な話だけではありません。「いや~、僕はその世界には暗くて」というように、もっと広い意味で使われます。

天照大神ら、天孫によって作られた、明瞭な、規則的な、秩序だった世界が、突然、曖昧な闇の世界に戻ったのです。明るい秩序世界が闇によって崩壊する。

この闇の到来とともに、いままで黙っていた<もの>らが五月蝿のようにおしゃべりをはじめます。

▼いまも暗闇は…

…っていうのが『古事記』のお話でですが、でも僕たちにこれを夜に感じることがあります。

電気を消して真っ暗にする。ひとりでその暗闇の中にいると、昼の間に人からいわれたいろいろなことが聞こえてくる。ずっと昔に亡父にいわれた言葉がよみがえってくる。放置していると、まさに「五月蝿」のごとくに満ちてくる。

そんなことがあります。

古代の人は、これがもっとはっきりと聞こえていたのではないでしょうか。

現代的にいえば死んでいる人でも、もしその人が言葉をしゃべったら、その人は生きているのか死んでいるのかわからない。

…って、現代でいえばホラーですが、そのようなことが当然だったのが古代なのではないでしょうか。