イナンナ本small

▼古代の日本人には「死」はなかった

前回から始まった「イナンナと冥界」、これは上掲のミシマ社刊の『イナンナの冥界下り』でカットした部分を連載しているものです。

今回は古代人は「死」をどのように考えていたのかについて考えてみましょう。

イナンナの死は『イナンナの冥界下り』の中では「弱い肉(打ちひしがれた肉)になった」と表現されます。

傷ついた肉
<弱い肉(打ちひしがれた肉)>

「弱い肉」なんて聞くと、私たちはこれを「死の比ゆ表現だ」と思ってしまいます。しかし、古代の人たちは比ゆとは思っていなかったかもしれません。現代の私たちから見れば「死んだ」としかいえないイナンナも、古代の人にしてみればただ弱い肉になっただけ。肉としての機能が、弱まっただけ、そう考えていたのではないでしょうか。

少なくとも古代の日本人はそうでした。古代の日本人には「死」はなかったのです。

しかし、日本語で書かれた(漢文、万葉仮名混交文ですが)もっとも古い書物のひとつである『古事記』を原文を読んだ方は、「『古事記』には「死」という文字が使われているではないか」と思うでしょう。しかし、これは稗田阿礼(ひえだのあれ)の語りを漢字にした太安万侶(おおのやすまろ)の(おそらくは恣意的な)誤使用であったと思われます。

古代の日本人には「死」という概念もなく、だからおそらくは死に対する不安もなかったのです。

このことについて、もう少し詳しくお話しておきましょう。

▼「音(おん)」と「訓」 

が、この話を進める前に、「音(おん)」と「訓」について確認しておきますね。

日本には長い間、文字というものがありませんでした。それがあるとき海を渡って「漢字」が入ってきました。最初はまったく意味不明でしたが、それを携えてきた人とのコミュニケーションの中で、どうもそれが事象を表す記号であり、さらには日本語の何かと対応していることに気づきました。

たとえば「海」という漢字。

海の向こうの人々は「カイ(hai)」と読んでいました。これが「音(おん)」です。「sea」を「シー」とか「スィー」とか読むようなものです。

そしてこの「カイ」は、どうも自分たちがいう「うみ」に似ているぞと気づき、この「海」という文字に「うみ」という読みをつけました。これが「訓(くん)」です。

「空(クウ)」は「そら」と訓じ、「花(カ)」は「はな」と訓じました。古代の日本人だったら「sea」に「うみ」という訓をつけていたはずです。

音と訓
青字が「」で赤字が「

▼日本になかったモノには漢字が当てはめられなかった

このように漢字の「音」「訓」との組み合わせはどんどん増えていきました。ところが中には「そのもの自体が日本には存在しないものがある」ということに気づきました。もともとそれが日本にはないのですから「訓」をつけることができません。現代でもいくつか見つけることができる「音」だけの漢字群がそれです。

たとえば「字」。文字は日本にはなかったので「ジ」という音しかありません(「あざな」という訓は後代にできたものです)。

こういう例では、「死」もそうですね。「死」には訓がない。

音のみ
「訓」のない漢字もある(赤字は音)

ちょっと余談を。

僕は昭和31年(1956年)生まれで、千葉県の銚子市にある海鹿島(あしかじま)という漁村で育ちました。うちの門の2m先は海岸という、すごい田舎で育ったのですが、そんな田舎でも中学になると(当たり前ですが)英語の授業がありました。

で、その授業で…

This is an orange.

…という文を学びました。

いまだったら「これはオレンジです」と訳しそうなものですが、当時のうちの近くにはオレンジなんてものはありませんでした。ですから「これはオレンジです」という訳文は何も言っていないに等しいのです。

中学一年生の、しかも英語を学び始めた子には、そのような宙ぶらりんな状態は耐えらないと先生が判断したか、あるいは先生も「オレンジ」なるものを知らなかったか、当時は…

「これはみかんです」

…と訳されたのです。

閑話休題…

さっき、さらっと書き流してしまいましたが、「死」には訓がない…ということは当時の日本人には「死」という概念がなかった…ということを意味します。だから「死」という漢字が入ってきたときにも「なに、それ?」って感じで「訓」をつけることができなかったのです。

▼日本人は「信じなかった」 

しかし、最初に書いたように『古事記』の中には「死」という漢字は使われています。これはどういうことなのでしょう。

これを考える前に、動詞についても見てみましょう。動詞も事情は、「海」や「字」などの名詞と同じです。日本にあった概念には、そのまま「訓」が当てはめられました。

たとえば「見(音=ケン)」という動詞が入ってきたときには、ああ、これは日本の「みる」だな…なんて風にです。

見る

では、日本に、そんな概念がなかったものに対してはどうしたか。

たとえば「信」

中国から「信」という漢字が動詞として入ってきたとき、当時の日本人はその意味するところが何がなんだかさっぱりわからなかった。古代日本人には何かを「信じる」とか「信仰」するということがなかったのです。

信仰がなかったなら、じゃあ、神もいなかったのかというと断じてそうではありません。「信」とは、今ここに「ない」ものを「ある」と思うことです。たとえば目の前の鉛筆を示されて「あなたは、ここに鉛筆があるのを信じますか」とはいいません。

皆、眼に見える神を考えていた」と折口信夫がいうように、古代日本人にとって神とは「見える」ものだったのでしょう。

アマゾン流域に住むピダハンの人たちのことを書いた『ピダハン』の著者ダニエル・L・エヴェレットは、ピダハンたちがみな「見える」という精霊を見ることができなかった。ピダハンの人には見えるのに、ダニエルには見えないのです。どっちが本当?精霊はいるのか、いないのか。

ダニエル、「わたしには、川岸に誰もいないとピダハンを説得することができなかった。一方彼らも、精霊はもちろん何かがいたとわたしに信じさせることはできなかった」と書きます。そう、これが「信」なのであり、精霊はいるし、いないのです。

ピダハン
ダニエル・L・エヴェレット (著)、屋代 通子 (訳) みすず書房
 
そして、ピダハンの人たちにとって、神や精霊がまさに「見える」ものだったように、古代の日本人にとっても神は「見える」ものでした。神を見ることができた古代人にとって「信」とはなんとも理解しがいものだったのです。

さて、そういう理解できない動詞には「す」「ず」をつけて「音」をそのまま使いました。高校時代に習ったサ変動詞ってやつですね。複合動詞。「信」の場合は「信ず(信じる)」という動詞を作りました。

こういう例は「感ず(感じる)」「愛す(愛する)」など案外たくさんあります。

現代ではカタカナ語も「コピペする」とか「ダウンロードする」のようにサ変動詞になりますね。

▼古代人は死なない

で、その流れで考えると「しぬ(死ぬ)」という言葉が変だということがわかるでしょ。

さきほど見たように「死」という漢字は「シ」という音(オン)だけしか持たない文字です。これを動詞にするならば、「信ず」とか「愛す」と同じようにサ変動詞をつけて「死す」になるはずです。で、実際に「死す」という言葉はありますね。

死す
「死」の動詞形は「死す」で「死ぬ」ではない

でも、「死ぬ」にはならない。

となると「死ぬ」って何なんだとなるのですが、あちこち寄り道しながらお話をしたので、いままでの話をちょっとまとめておきますね。

私たちは「しぬ」という言葉を書くとき、当然のように「しぬ」の「し」「死」という漢字を当て、「死ぬ」と書きます。そして「しぬ」というのは「死」という状態になることだと思ってしまいます。

しかし、「死」という状態になるのは「死す」であり「死ぬ」にはならない。すなわち「しぬ」の「し」は「死」ではないのです。

わお!ここら辺、もう何がなんだかわからなくなった…という人もいるかも知れませんね。 が、もうちょっとお付き合いください。

▼「しぬ」とは「しなしなになる」こと

ちなみに「死」という漢字は、人の骨(歹)とそれを拝する人(匕)から成る漢字です。

死
左が礼拝する人、右が骨

「死」
とは骨になることであり、漢字で「死者」といえば白骨化した死体を意味します。そのような状態になることが「死す」です。

しかし、昔の日本語の「しぬ」とは白骨とは全然関係ない言葉でした。

民俗学者の折口信夫は、古代の日本人には、今我々が考えているように死の観念はなかった、といいます。

折口によれば、「しぬ」は「死ぬ」ではなく、「萎(し)ぬ」だというのです。

「萎(し)ぬ」、すなわち「しなしなになる」ことが「しぬ」の本来の意味であり、白骨になるのとはまったく違います。心が撓ってしまい、くたくたになって疲れ果て、気力がなくなった状態が「しぬ=萎ぬ」なのです。

古代的な言い方をすれば、「たましひ」が身体から遊離してしまった状態です。心も体も疲れ果てて、頭も動かないし、体も動かない。魂が遊離してしまって、起き上がることすらもできない。それが「萎(し)ぬ」です。

そして、これとは逆に私たちが生きているということは、魂がこの肉体に入って、それこそ「いきいき(生く=活く)」と活動している状態をいいます。

「しぬ」とはたとえば、光と水を得て「活き活き」としていた植物が、陰に置かれ、水も与えられなくなり「しなしな」になった状態に似ています。そして、その植物が再び水を光を得れば「活き活き」となるように、「しぬ」となった人も、ふたたび「活き活き」となる、そう昔の人は思っていました。

実際、仮死状態になった人が生き返った例をたくさん目撃したはずですしね。

さて、まとめておきますね。

 ・古代の日本には「死」という概念はなかった
 ※だから「死」には訓がない 

・「しぬ」という言葉はあったけど、これは「死」ではなく魂が弱ってしなしなになる状態
 ※漢字を充てれば「萎ぬ」がいい

・稗田阿礼は『古事記』を語るときに「しぬ」といっていたのを、太安万侶が「"しぬ"のの"し"って"死"と同じ音じゃん」ということで「死ぬ」という漢字を充てた。

・それ以来、日本人も「しぬ」は「死ぬ」だと思うようになり、「死」を認識するようになった












てなわけで、太安万侶の「死」の当て字は、どうも恣意的な感じがするのですが、それはまたいつかお話することにしましょう。

この「死」の話は、まだまだ続きます。

次回は「そんなこといったって、実際に生き返らない人がいるでしょ」って話から始めます。

▼寺子屋のお知らせ

さて、「死」についてお話する寺子屋を開催しますので、そのお知らせです。 

***********寺子屋***********
「いのちと死」
 ゲスト:稲葉俊郎先生(東大病院循環器内科)
2015年12月7日(月)19時~21時  受講料:お賽銭※
東江寺(広尾) 東京都渋谷区広尾5-1-21

「いのちと死」をテーマに循環器内科の稲葉俊郎先生と安田が最初にミニレクチャーをし、そのあと精神科医の大島叔夫さんも交えて座談をします。どうぞふるってご参加ください。

当日の飛び込み参加も歓迎しますが、参加がお決まりの方は以下にメールをいただけると助かります。
info@watowa.net
※「受講料がお賽銭って結局、どうしたらいいの?」→お賽銭箱が置いてありますので適当な金額をお入れください。むろんゼロでも構いません。
★なお、寺子屋に関しての「東江寺」さんへのお問い合わせはご遠慮ください。
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