▼見えないものを見る力と「和歌」

今回は『イナンナの冥界下り』とはちょっと違った話題で失礼します。

演劇やダンス、音楽などの舞台芸術に関わる方、あるいは日本文化に興味のある方、そしてARやVR、さらにはゲーム制作などに携われる方などに、ぜひ参加していただきたい催しがあるので紹介します。平日の昼で参加しにくいのですが、このメンバーでの講座は、なかなかないのでぜひ万障繰り合わせてのご参加をお待ちしています。

11月9日(月)10:00~17:00 無料(要予約)

詳細のページはこちらにあります

これは、アーツカウンシル東京主催の「伝統芸能パースペクティブ」という催しの第三回目で、今回は「庭を読む」という講座です。

午前に2時間のレクチャーがあり、午後、駒込の「六義(りくぎ)園」を周り、そのあとまた2時間のレクチャーがあるという長時間講座です。 

紀ノ川


レクチャーをされるのは…

・和歌:鈴木宏子先生[日本古典文学 平安文学 和歌文学/千葉大学教育学部教授]

・VR・脳科学:藤井直敬先生[脳科学/理化学研究所 脳科学総合研究センター 適応知性研究チーム・チームリーダー]

・座談進行:船曳建夫先生[文化人類学/東京大学名誉教授]

・そして安田登

…という超豪華メンバーです。 

さらに六義(りくぎ)園の散策時には、お花の塚田有一さんが庭内にいて、みなさんの質問に答えてくれます。また最後に安田が『夢十夜』を語りますが、そのときには浪曲師の玉川奈々福さんが演奏もしてくださいます。 

この講座でお伝えしたいのは「見えないものを見る力」と、そしてそれを支える「和歌」についてです。

能という芸能は、いわゆる大道具、小道具の類はほとんど使わず、照明も音響も使いません。多くを観客の想像力にゆだねるという芸能なのです。これは能に限らず、多くの古代の芸能がそうでした。これは古代の人たちの想像力が今の私たちよりも豊かであったということもあるでしょうが、しかし能という芸能の中にその仕掛けが隠されていることも見逃すことはできません。

そういう仕掛けについてもお話をしながら、これからの芸術・芸能の方向性を考え、さらにそれを生み出す脳の働きについてもお話が及ぶ予定です。

▼六義園の石柱はARマーカーだ

そしてメインとなる「六義(りくぎ)園」の散策です。

庭園は「日本文化の粋」ともいわれ、日本文化の中でも最も重要なもののひとつです。

しかし、正直いって、僕は若いころからそのよさがよくわかりませんでした。落ち着くといえば落ち着くし、きれいといえばきれいです。でも、だからといってこれが「日本文化の粋」とはとても思えない。

日本の庭に関する本も何冊か読んでみました。現代の本だけでなく『作庭記』だって読みました。それでも、その(それほどの)よさはわかりませんでした。

しかし、わからないのは当たり前だったのです。日本の庭は、目や心だけで鑑賞するものでなく、そこにある暗号を読み解き、それを脳内で拡充し、そしてはじめて味わえるものだったのです。

「見えないものを見る」「聞こえない音を聞く」、すなわち脳内ARそんな日本文化を享受する人たちのトレーニングの場でもあり、それができたとき、日本の庭は3Dどころか4Dにも5Dにも6Dにも変容する空間なのです。

今回の「庭を読む<六義園>」の講座は、そんな庭の読み方のためのお話をさまざまな立場の専門家がし、また実際に駒込にある大名庭園である「六義園」を歩いていただきます。

六義園は江戸時代、五代将軍、綱吉の時代に、柳沢吉保によって駒込に作られた「大名庭園」です。大名庭園は、「見えないものを見る力」を養うために作られたのではないかと思われるほど、その練習には最適なのです。

東京ドーム二個分ぐらいの大きさの庭園の中に、紀伊の国の名所が再現されています。和歌の名所で名高い「和歌浦」と、花の名所の「吉野山」が中心です。

庭園内には名所の名が刻まれた数十センチの石碑が立っていて、これらの多くが和歌と呼応しています。

千鳥橋 石柱    志るへの岡 石柱


これは、現代の言葉でいえばARマーカーのような機能を果たしているのです。

いまだったら、これにスマホや携帯をかざすと、AR(Augmented Reality:拡張現実)のアプリが起動して、この景色に、いまここにはない景色を重ねたり、音を出したりします。

▼脳内ARを発動する

たとえば「でしをのみなと(出汐湊)」という名が書かれた石碑があり、その前に立ったとします。

するとそのARマーカーに刺激されて、その人の脳内ARが発動して、まずは次のような和歌が浮かびます。

「和哥の浦に月の出汐のさすままに夜鳴く鶴の声ぞさびしき」

(和歌山県の和歌の浦から船出をしようと、月の出を待っている。やがて夜になると月が出てくる。それにつれて潮も満ちてくる。船出の時だ。が、海水に浸入しされた干潟にいた鶴たちが、そこにはいられなくなって夜の空に飛び立ち、さびしい鳴き声をあげている)

目の前には和歌浦を模した景色があります(真ん中に小さく見えるのが石柱です)。

和歌ノ浦1


発動した脳内ARは目の前の景色を拡大・拡張し、実際の和歌浦ほどの大きさにするし、不足部分を補う。実際に和歌浦に行ったとか、そういうことはどうでもいいのです。自分の好きな和歌浦に脳内で作り変えます。

そして、かりにいまが昼であってもそこは夜になる。やがて、月が出てくるとともに、静かな水が動いて潮も満ちてくる。汐待ちをしていた船が湊を出ていくさまも見える。

いままでの干潟に水が満ちてくるので、そこにいた鶴の群れが葦原を目指して飛び立ち、悲しそうな鳴き声を中空であげる、そんなイメージが浮かんできます。

このイメージを浮かべる人のほとんどは実際の和歌浦に行ったことがない人なので、おのおの勝手な妄想を立ち上げるのです。しかも、それが目の前の上の景色に重なるのです。

▼時空を超えた脳内AR
 
また紀の川を模した「紀川」という石碑では、それこそ脳内でしかできないARを立ち上げます。

紀乃川 石柱(遠景)


この紀の川は、別名「吉野川」とも呼ばれるように、ここは六義園の二大名勝、和歌浦と吉野山をつなぐ川です。

この石碑で脳内に浮かべるべき句は『万葉集』の代表歌人である人丸の句です。そして、紀ノ川は『古今和歌集』の歌人である紀貫之

すなわちここは和歌浦と吉野山という空間を結びつけるだけでなく、奈良時代の『万葉集』と平安時代の『古今集』とを結びつける、時間をも結び付ける川なのです。

この時空間を超越したものといえば、この庭園ができた当時(綱吉の時代)の人ならば必ず能『高砂』が思い出されたはずです。能『高砂』のおじいさんは住之江(大阪)の人、そしておばあさんは高砂(兵庫)の人で、さらにはおじいさんは『万葉集』の奈良時代の人で、おばあさんは『古今和歌集』の平安時代の人なのです。

そんな時空間を越えた二人が、相生の夫婦であるというのが能『高砂』です。まさに「紀の川」。

高砂


そして、それを思い出した当時の武士が能『高砂』の謡、「高砂や…月もろともに出汐の」を口ずさんだ途端に、対岸にある石碑「出汐湊」が見えて、「おお!」と、謡の「出汐」が出汐湊の「出汐」と呼応することにも気づいたはずなのです。

▼観る人にゆだねる勇気

こんな脳内ARのためのARマーカーである石碑は、いまは立ち入り禁止の場所もあるので、現在確認できるものは十六個しかありませんが、本来は八八個ありました。

六義園は、そういう脳内AR、すなわち見立てのために仕掛けられた庭園なのです。

それができないと、ただ「わー、きれいだね」で終わってしまう。まあ「わー、きれいだね」で終わってもいいんですが、いろいろな古典を知っていれば、見えるものや考えることがまったく違ってきます。
 
しかし、日本文化で大事なのは「こんな景色を見なさい」というマニュアル的なものはない。方向性はあるのですが、そこで何を見るかはその人にゆだねられています。

これは、能作者が、自作の能をこんな方向で理解してほしいと観る人に強要しないのと同じだと思うんです。いろいろなアイテムをぽんぽん曲の中に投げ入れるけれど、何を拾っていくかは観る人まかせ。観ている人のその時の精神状況、その時の教養によってまったく異なります。

それを相手にゆだねるという勇気があったのが日本文化でした。

▼ハコスコもあるよ~

…なんていう話を中心に、僕はお話をする予定ですが、鈴木先生の和歌のお話 、藤井先生のVRや脳科学のお話、そしてそれらをつなげてくださる船曳先生のお話も楽しみです。

ちなみに当日は藤井先生のハコスコもいくつか展示され、みなさまにVR体験をしていただけるようにする予定です。

ぜひ~。

詳細のページはこちらに