イナンナの冥界下り

シュメール神話『イナンナの冥界下り』を上演するための雑感を書くブログです。

これだけは覚えておきたいシュメール語(2)

さて、前回は「天(アン=an)」と「地(キ=ki)」を紹介しました。今回は「冥界」です。

▼冥界は山

「大いなる天より、大いなる地へ、その耳を立てた(心を向けた)」イナンナは、次に「天を捨て、地を捨て、冥界に下り」ます。

「冥界」のシュメール語は「クル」です。ローマ字で書くと「kur」。

楔形文字では、こうなります。

kur01

おお、なんかかっこいいですね!

では、古い字体を紹介しましょう。ウルク古拙文字から。

kur03 これとか…  kur02 これとか。

これはかっこいいというよりかわいい。では、これよりはちょっと新しいウル第三王朝の文字を。

kur04 これとか… kur05 これとか…

最初のはウルク古拙文字の右側のものをラインだけにして、時計回りに90度回転させたものですね。あとのは、もうお団子になっちゃってます。

冥界にお団子というのは、どうも似つかわしくない…と思っていると、もうひとつ。

kur06

丸いのが尖がりました。あれ?これってひょっとしたら…。

そうです。この回転を元に戻してみますね。

kur06b

そうそう。三角が3つといえば、漢字の「山」です。ちなみに甲骨文字ではこうなります。

yama02

そうなのです。

実は「冥界」と訳される「クル(kur)」は、もとの意味は「山」なのです。

▼『古事記』でも冥界は山だった



ちなみに「クル(kur)」には、「山」だけでなく「異国」という意味もありますし、あるいはただ単に「土地」という意味でも使われています。

でも、どちらにしろ「山」が原意です。

いまの人に「冥界」ってどこにあると思う?と尋ねると、多くの人は「地下」と答えますが、メソポタミアでは冥界はどうも山にあったようなのです。

で、実はこれは古代日本人の冥界観にも通じるところがあります。

日本の神話で最初に亡くなるのは「イザナミの命(みこと)」です。火の神を産んだときに、その火で「ほと(性器)」を焼かれて死んでしまうのです。そこで葬られたところが「山」なのです。

「其の神避りましし伊邪那美の神を葬りしは、出雲の国と伯伎の国の堺、比婆の山なり」と『古事記』にあります(ここで「堺」ということも重要ですが、それはまた)。

冥界に行ってしまった妻イザナミを追って、夫イザナギは黄泉の国に行くのですが、そこで変わり果てた妻の姿を見て逃げます。それに怒った妻がさまざまな追手を派遣して追わせるのですが、そこでもやはり…

「黄泉比良坂の坂本に到りし時、其の坂本にある桃の子(み)三箇(みつ)を取りて待ち撃てば」とあります。

まず、黄泉の国と生者との境にあるのは「黄泉比良坂(よもつひらさか)」という坂(坂という語は堺という語と同根)。

そして、そのあとにイザナギが「坂本に到りし時」とあるでしょ。「坂本」というのは、坂(山)の下、すなわち山への上り口をいいます。

となると『古事記』の時代には、死者が住むのは山の上で、生きる者は山の下に住んでいる、そういう考えがあったのでしょう。

で、シュメールもそうなのかも知れません。

▼下るは上る

ということをいうと、勘のいい方は「だって『冥界に下る』って書いてあるじゃないか」と思われるでしょう。

確かに!

でも、実は「下る」に当たるシュメール語は「エド(ed3)」

これには「下る」という意味と「上る」という意味の両方あるんです(この語に関してもいつか詳しくお話します)。

だから本当は「冥界上り」って訳した方がいいのかな、などとも思ったりします。 でも、現代人の感覚からすると「冥界上り」って変ですね。

▼チベットの姨捨

さて、死者の国が山の上にあるということで思い出すのは、1987年にチベットで偶然出会った「おば捨て」の一行。

鳥葬の山を探して自転車でラサを走っていたときのことです(あの頃はほんと、元気だった。3,650mの高地を自転車で闊歩して平気だった)。

向こうから輿の上にお婆ちゃんを乗せた一行が派手な音楽を奏しながらやってきました。最初は「おばあちゃんのお誕生日かな」とも思ったのですが、みんな泣いています。ただ、輿の上のおばあちゃんだけがニコニコしている。

近くにいた中国語がわかる若い女の子に尋ねると、「あれは姨捨だ」と教えてくれたのです。

「なぜ、おばあちゃんはニコニコしているの?」と尋ねると、次のように教えてくれました。

これからお婆ちゃんが行くところは、あの(と、指し示してくれた)山の中腹の小屋。あそこに入ったお婆ちゃんには、毎日、ちゃんと食事が届けられる。でも、お婆ちゃんが自分のペースで、その食事を減らしていく。そうすると徐々に食欲もなくなり、「生きたい」という気持ちもなくなって眠るように亡くなる

で、この山の反対側が鳥葬の山で、亡くなったあとの体はあそこから観音様のもとに届けられる。

観音様のもとに行けるんだからニコニコしているんだと。

▼日本でも山の死者の魂の行くところ

そういえば、日本でも『古事記』だけではない。亡くなった方の魂は山に行くという考え方を残している地方はいまでもあります。また、神様はだいたい山の上にいます。

「黄泉」は日本では「よみ」と読みますが、音は「こうせん」。

「黄泉(こうせん)」 が最初に出てくるのは、たぶん『春秋左氏伝』かなぁ。そこでは地下の隧道にあることになっています。

『古事記』で「よみ」に「黄泉」という漢字を充てたのは、おそらく太安万侶ですね。

「よみ」という言葉を発したとき、ヒエダノアレイが頭の中でイメージしたのは山の上で、それを筆録した太安万侶がイメージしたのは地下隧道だったのかも。…などと考えると、ちぐはぐなふたりが四苦八苦しながら『古事記』をまとめているさまが想像できて楽しいですね。

あ、そうそう。

シュメールと古代日本が似ているからといって、安易に両者を結びつけるのはやめてくださいね。もし、したいならばちゃんとシュメール語を何年も勉強して、それでも結びつくと思ったらどうぞ~。 

これだけは覚えておきたいシュメール語(1)

『イナンナの冥界下り』を読むのに、覚えておきたいシュメール語を紹介します…って、覚えても何の役にも立ちませんけど~。

今回は「アン」と「キ」

▼アンとキ

『イナンナの冥界下り』というタイトルは『Inana's descent to the nether world』の訳ですが、本当は『アン・ガル・タ、キ・ガル・シェ(大いなる天より大いなる地へ)』と呼ぶのがいいようです。

これは『イナンナの冥界下り』の書き出しの文です。

アン・ガル・ 、 キ・ガル・  シェ
大いなる天 から 大いなる地  へ

『聖書(旧約聖書)』の最初の篇も「創世記」と呼ばれていますが、ヘブライ語では「ベレシート(最初に」)」といいます。これもその書き出しです(ベレシート・バーラー・エロヒィム:最初に神は創造した)。

女神イナンナは「大いなる天から大いなる地へとその耳を立てた」のです。

…というわけで、今回は書き出しの文から「天」と「地」のシュメール語を紹介しましょう。

まずはカタカナで。

天  :アン

地  :キ

▼天(アン)は星

「天(アン=an)」の楔形文字はこれです。

an01

これは新アッシリア時代の新しい形なので、古い字体もいくつか紹介しましょう。

an04   an03  an02

いかがですか。真ん中のなんかウニみたいですし、右のはお花のようですね。

この「天(アン)」の文字は「星」の象形だといわれています。

「なるほど!」

そう言われてみれば…でしょ。

天は神様でもある

ちなみに「アン」は天だけでなく「神様」という意味でも使われていますし、「アン(an)」という名前の神様もいます。

また、シュメール語やアッカド語では、文字の前や後ろに「これは何に属しますよ~」ということを教えてくれる「限定詞」というのをつけることがあります。

これ、大事な用語なので二度いいます。

限定詞

神様だったら「神様マーク」の限定詞がつき、人だったら「人間マーク」の限定詞が付き、土地だったら「土地マーク」の限定詞が付きます。

で、限定詞としての「神様」マークには、この「アン」が使われます。

ですからイナンナをあらわすには…

「神様マーク(限定詞)」+「イナンナの楔形文字」になるのです。

       an01    イナンナ03

こうとか…

       an04    イナンナ02

こうとか…

        an03   イナンナ01b 
   (この組み合わせの場合は本当は縦書き)

こうとかです。


▼地(キ)はよくわからない

「地(キ=ki)」の楔形文字はこれです。

ki01

これも新しい字形なので、古い字形を紹介しますね。もっとも古いウルク古拙文字ではこうなります。

ki02

う~ん、これが「地」か。よくわかりませんね。

で、この「地」は甲骨文字では何に当たるだろうと考えると「田」が一番近いかも、と思うのです。実はいま旅先で手元に甲骨文字の本がないので、数日して帰宅したら(で、忘れていなかったら)紹介します。

※ちなみに甲骨文字では「田」は動詞として使われることが多いのです。

▼楔形文字には異体字が多い

さて、楔形文字は時代が下ると、90度反時計回りに回転します。「キ(ki)」はウル第三王朝の時代になると、次のようになります。

ki03

ひし形になって、より「田」に近くなりました。

ところで楔形文字は異体字がすごく多いんです。これは甲骨文字や金文も同じですが…。

慣れないうちは、とても同じ文字には見えません。では「キ(ki)」の異体字を、ウル第三王朝のものだけに限って、いくつか(!)紹介します。

まずは…

ki04

ひし形が三角になっちゃいましたね。で、次は…

ki05

三角の頂点が違う。さらには…

ki06

今度は長方形です。

漢字の書き取りでハネとかトメとか書き順とかチマチマやっているのがアホらしくなります(これも甲骨文字や金文でも同じ)。

▼地は土地を示す限定詞

ちなみに「地:キ(ki)」という名前の神様もいます。「天:アン(an)」 のお后です。

また、「キ(ki)」は土地を表す限定詞としても使われます。たとえば以下の単語の最初に「キ=ki」が見えますね。

kiengi

これは「キ・エン・ギ(ki-en-gi)」と読んで「シュメール」を意味するシュメール語です。シュメール語でシュメールは「キ・エン・ギ(ki-en-gi)」です。「すめらみこと」が「シュメールのみこと」がというのは、めちゃくちゃな話ですね。

ところでさっき「土地」がどうしてこの形になるのかよくわからん、と書きましたが、もう少し新しいもの(紀元前6世紀くらい)になりますが、バビロニアの地図なんか、ちょっと似ているかも。土地を丸く囲むとことかね。

バビロニア地図 

イナンナとは(1)

▼さまざまに変容していくイナンナ
 

『イナンナの冥界下り』の主人公である女神イナンナは、後代のさまざまな神話の女神の祖形です。

シュメール神話においては「イナンナ」と呼ばれる彼女は、シュメールのあとを継ぐアッカド語で書かれる神話では「イシュタル」と呼ばれます。金星や豊穣の女神でもあるイシュタルは、ギリシャ神話では「アフロディーテ」になり、ローマ神話では「ヴィーナス」になり、さらにグレゴリオ聖歌の『海の星(アヴェ・マリス・ステラ)』が金星であるとする説に従うならば「聖母マリア」もイナンナを継ぐとも考えられるのです。


すごっ!


すごすぎるので、よくわからなくなってしまいそうなので、まとめておきますね。


シュメール:イナンナ
アッカド :イシュタル
ギリシャ :アフロディーテ
ローマ  :ヴィーナス
キリスト教:マリア 

古代メソポタミアからイエスの母まで続く、この女神の系譜の祖形であるイナンナとはどんな神だったのでしょうか。その姿を神話や当時の賛歌(hymns)から見ていきましょう。

▼イナンナの楔形文字

今回はまずはイナンナを表す文字を紹介しておきますね。


シュメール語は、
楔形文字(cuneiform)で書かれます。楔形文字にも時代によってさまざまな字体があり、もっとも一般的な楔形文字である新アッシリアの字体では、イナンナは次のように書かれます。


イナンナ03

この字体では、イナンナが何を表しているかがわかりませんね。

ということで、もっとも古い字体を見てみます。
ウルク古拙文字と呼ばれる字体では以下のようになっています。

イナンナ01b
あるいは次のようにも書かれます。イナンナ01a


この字を見ると、髪の長い女性が立っているように見えますが、これは
葦の束を象った文字だそうです。

「えー、葦に見えない」という方。そういう方のために…。以下は葦の家です。

葦の家01    葦の家02

左が昔の絵で、右が現代の家の写真です。すごいですね。ほとんど変わっていません。で、昔の家の屋根から出ているものがイナンナの文字に似ています。現代の葦の家には、これはありません。

…となると、これは古代の家の屋根につけた
注連縄のようなものかも知れません。

この字が横になり、そして今の文字(って新アッシリアの時代ってことね ww )にだんだん変わっていきます。
ちなみに、これからもよく参照するウル第三王朝時代の文字を間に挟んでおいておきます。

イナンナ01横 →  イナンナ02   
 イナンナ03

ウルク古拙文字  ウル第三王朝      新アッシリア

イナンナと「心」の次の時代(2)

▼「心」は文字が作った

そろそろ限界に来た<「心」の時代>の次の時代を考えるのに『イナンナの冥界下り』を上演することが大切だということを前回の最後に書きました。

それは『イナンナの冥界下り』は、また「心」がなかった時代の物語だからです。

ちなみに、ここでいう「心」というのは、漢字の「心」であって、僕たちがひとりひとり別々にイメージしちゃう「こころ」ではありません。「こころ」自体はあまりに曖昧な概念だし、その割には思い入れが強い人が多いので、それは脇に置いておくことにしましょう。

紀元前1,000年くらいにできた「心」の機能は、ひとことでいえば「時間を知る」ことです。

あ、ちなみにその時代の「心」という文字は、これです。

心

辞書などには「心臓の象形」と書いてありますが、これは男性の性器でしょ。

ま、それはともかく…。

で、この時間を知る「心」というのは「文字」が生み出したようなのです。

「文字」と「心」と、それから性器やお腹との関係については、『あわいの力(ミシマ社)』をはじめ、いろいろなところで書いたので、ここでは省略しますね。

『イナンナの冥界下り』は、「心」がない<プレ文字社会>の神話です。これが「心」の限界の時代に『イナンナの冥界下り』を上演する意味なのです。

▼できたばかりの文字は<プレ文字社会>も記述する

文字がない時代の神話とはいっても『イナンナの冥界下り』は、むろん文字で書かれています。しかし、文字ができた頃に書かれたものは<プレ文字社会>のことにも(それとは知らずに)言及してしまっています。

プレ文字社会

最初期の文字で書かれたものからは、<プレ文字社会>から<文字社会>へと推移するときのさまを読むことができます。

いまが<文字社会(「心」社会))>から<アプレ文字社会(アプレ「心」社会))>への推移のときであるならば、数千年前の推移の時期にどのようなことが起きたのか、それを知ることは意味のあることだと思うのです。

で、それを机の上で学問として研究する方もいれば、僕たちのように身体を使って、語ったり、上演してみるという奴らがいてもいいと思うのです。それにによって見えてくるものがあるかもね、なんて思うのです。

▼<プレ文字社会>の古典

<プレ文字社会>のものとして現在、私たち(在野の非・研究者)が比較的容易に読めるものとしては…

(A)『古事記』
(B)甲骨文字で書かれたもの
(C)シュメール語の神話・伝説
(D)ヒエログリフで書かれたもの
(E)『イーリアス』、『オデュッセイア』(ホメーロス)

…などがあります。

でも、これはすべてそのまま信じていいというわけではありません。

たとえば(E)の『イーリアス』は、その写本が最古のものでも10世紀(紀元前ではなく紀元後ね)。

紀元前8世紀半ばにホメーロスによって書かれ、紀元前6世紀後半に文字化され、紀元前2世紀にほぼ今日の形にまとめられたとされてはいますが、その時代のものを見ることはできません。ですから、『イーリアス』に関していえば、<プレ文字社会>の一次資料として使うには慎重になった方がいいですね。

で、これは実は『古事記』もそうなんです。現在、確認し得る最古の写本は1370年代。かなり新しい。ですから『古事記』偽書説すら出ているくらいです。

また、(D)のヒエログリフで書かれたものに関しては、まだ習ったことがないの機会を見つけて学びたいと思っています。

▼語り手と書記

文字で書かれた<プレ文字社会>を考える上で、もうひとつ考えておかければならない問題は、語り手と筆記者との関係です。

『古事記』でいえば(序文の記述を信じれば)稗田阿礼が「誦習」していたものを太安万侶が書き記して、編纂したといわれています。

太安万侶は名前からして帰化人ですね。文字を知らない原日本人である稗田阿礼が朗誦するのを、太安万侶が漢字で筆録したのが『古事記』なのですが、しかしそれは稗田阿礼が朗誦していたそのままのものではない可能性が大です。

変わってしまう原因のひとつは相手です。語りというのは相手によって変わってしまいます。

金田一京助がアイヌの歌謡や語りを採集していたときに、彼がマイクを向けた途端に変わってしまったと書いています。能のようにテキストが固定されているものは別として(これですら変わる)、あらゆる歌や語りは相手によって変わるのです。特に相手の文化が自分と違うときには、大きく変容する可能性があります。

もうひとつは筆記者の問題です。

当たり前の話ですが、筆記者の習得している文字で書写できないものは書写ができません。この問題も2つあり、ひとつは、ない単語は書けないというもの。

たとえば「みかん」を英語ではうまく訳せません。「かすみ」「もや」「きり」の違いもうまくいかない。こういう場合、話者が相手にわかるように変化させてしまったり、あるいは筆記者が適当な語句をあてはめて誤魔化したりします。『古事記』の中にもよくあります。

もうひとつは音の問題。たとえばカタカナでは英語を写せませんし、アルファベットではオランダ語は書写できません。もうちょっと正確にいえば、書写はできても再現ができない。というか、それ以前に筆録者が、ちゃんと聞き取れているかどうかも疑問。

まあ、そのほかにもいろいろありますが、そんなことも一応含んで考えていきましょうね。

イナンナと「心」の次の時代(1)

▼釈迦やイエスや孔子に代わる人

『イナンナの冥界下り』の初演は山のシューレですが、そのためのプレ講座を行っています。

で、第一回目にお話したことを、加筆しながらちょっとずつまとめていきますね。

さて、ずっと不思議に思っていることがあります。

高校二年の夏休みに空海にはまりました。特に『即身成仏義』はすごかった。次にはまったのが聖フランシス。これは映画『ブラザー・サン・シスター・ムーン』の影響。そして、もうひとりが吉田松陰。

仏教、キリスト教、儒教と王道御三家です。

でも、あれ?

空海もフランチェスコも松陰もすごいけど、空海はお釈迦様ほどじゃないし、フランチェスコもイエスには劣る。吉田松陰だって孔子ほどではない。

で、お釈迦様や孔子は紀元前500年くらいの人、イエスは紀元0年くらい。

「なぜ2,000年以上も彼らを超える人が出ないのか」

これが不思議でたまらなかった。

高校時代には、「そろそろ彼らに代わる人が出るんじゃないか」という誇大妄想もしました。

僕は高校にはマジメに行かず、バンド小屋で生活をしていたので、毎晩麻雀三昧でした。そして、その徹マンの中で、古代中国の漢字である甲骨文や金文に出会い、それらを読んでいるうちに、これは「心」の発生と関係があるんじゃないかと思い出したのです。


▼「心」は未来を変える

「心」という漢字が生まれたのは紀元前1,000年ごろです。漢字そのものは、その300年前に、なんと5,000文字以上もの漢字の存在が認められているのですが、その中には「心」という漢字がないんです。

ということは「悲」とか「怒」とか、あるいは「悩」なんて漢字もなかったわけで、ひょっとしたら昔の人は悲しんだり、悩んだりしなかったのかなぁ、などとも思うのですが、まあ、それはともかく「心」という漢字がなかった。

ということは、さらにひょっとすると「心」そのものもなかったのかも。

…なんて話をするとね、「そんなはずはない」って妙に突っかかってくる人がいるんです。 

どうもその人は、自分が思い込んでいる「こころ」のイメージが強すぎるというか、「こころ」は大切だと思いすぎているようです。

そんなわけで、この記事では漢字の「心」と、ひらがなの「こころ」を分けて書いていくことにしますね。漢字の「心」が、いま書いた紀元前1,000年くらいにできたものです。

漢字の「心」の機能というのは、ひとことでいえば…

●時間を知ること

…です。

なぜそうなのかということを話していくと長くなるので詳細は拙著や以前に書いたブログをご覧ください。

以前のブログはこちらからどうぞ~(これ、書き足さなきゃね)。

さて、それはともかく、時間を知ることによって…

●人は「心」によって未来を変えることができるようになった

…のです。

甲骨文や金文を読むと、それまでは唯々諾々と生贄にされていた民族が、「心」を獲得したことによって生贄としての未来に抗することができるようになったと思われます。

牛が黙ってビッグマックにされるのも、鶏が暴動を起こさずとKFCにされるのも、彼らに「心」がないから、すなわち、誰かが連れていかれても「次は自分かも」という推測ができないからなのです。

▼「心」の次の時代が来る?


ということで人は<生存>のために「心」を獲得したと思われるのです。

心を獲得してからを「心の時代」と呼ぶことにしましょう。古代中国でいえば紀元前1,000年くらいから「心の時代」が始まりました。

が、この「心」というものは生まれたときから非常に大きな副作用を持っていた。

未来を見通すことができるという作用は、そのまま未来に対する「不安」や過去に対する「後悔」を内包します。未来を変ええる力を手に入れた「心の時代」の誕生とともに、人は不安や後悔なども同時に獲得してしまったのです。

で、それを何とかしようとしたのが孔子や釈迦やイエスだったんじゃないか。彼らの言動を載せている仏教の経典や『聖書』や『論語』などは、「心」の副作用に対する処方箋、あるいはマニュアルだったんじゃないかと思うのです。

で、実際に引きこもりの人たちと『論語』を読んでみると、それが今でもかなり有効であることがわかります。

「心の時代」である限り、この三聖人の思想は極めて有効なのです。

が、そうはいっても正直、この三聖人の力は、いまは衰え始めているように感じます。

生存のために獲得した「心」によって、現代人は自分の生存を断ち切る=自殺しちゃったりする。むろん、自殺をした人は昔からいっぱいいましたが、いまはとても多い。う~ん、正確にいうと昔の数は本当のところはわからないけど、いまは不安になりやすい。

これは「心」の初期機能からすれば、完全に機能不全に陥っているといってもいいでしょう。

これこそが釈迦が予言した「末法の世」ではないかな、とも思うのです。

…となると、そろそろ「心の時代」が終わるかも知れない。「心」の次の時代が始まらなければならないときが来ているんじゃないか、そう思うのです。

ミシマ社さんの『あわいの力』や、ちくま新書の『日本人の身体』で書きたかったのは、その<「心」の次の時代>のことでした。

が、まだそれがどんな時代なのかは想像もつきません。

そこで、それを考えるためにも『イナンナの冥界下り』を上演することが大切だと思うのです。

おっと、そろそろ時間なので、また書きます。 

山のシューレのプレ講座

『イナンナの冥界下り』は、2015年6月6日(土)の山のシューレ@那須で初演が行われます。

http://www.schuleimberg.com/

翌日の6月7日(日)には、この作品の上演を受けて「いとうせいこう」さんとシュメール語の「高井啓介」先生、そして安田による鼎談も行われます。

…で、そのための3回のプレ講座を開いているのですが、すでに 2回が終わりました。

詳細はこちらににあります

毎年、山のシューレのオープニングの舞台では作品を作っていて、そのためのプレ講座を千鳥が淵の「册」でしているのですが、マンションの規約で音が禁止になってしまったということで、今年はデザイナーの原研哉のご好意で「日本デザインセンター」と、資生堂の福原義春さんのご好意で「資生堂パーラー銀座本店」をお借りして行っています。

●一回目は「 プレ文字世界~女性による女性のための世界~」。

ゲストに、人形師の「百鬼ゆめひな」さんと、浪曲師の「玉川奈々福」さん、そしてチェロの「新井光子」さんにお出ましいただき、安田も参加して、人形と語りによる『雪女』を初演しました。小泉八雲の『雪女』をなるべく原文(英語)に忠実に、しかし全体の構成を能の構造に書き変えての上演でした。

●二回目は「世界中の「冥界下り」~古事記、ギリシャ神話、古代オリエント~」 。

ゲストはライアー奏者の「三野友子」さん。シュタイナー教育で生まれた竪琴ライアーと、三野さんの透明な歌声で会場には、音が鳴っているのに深い静謐が広がりました。

で、次回が三回目。「『心』のない時代のこころ」〜精神科医と『イナンナの冥界下り』を読む

5月14日(木)。@「日本デザインセンター」です。

ゲストは精神科医、大島淑夫さん。大島さんは天籟能(僕たちが主催している能の会)の事前ワークショップでも能『隅田川』に対して驚くべき読み解きを披露してくれました。彼の読み解きはいつもながら新鮮で深い。『イナンナの冥界下り』をどう読んでくれるのか楽しみです。

また、狂言の奥津健太郎さんもゲストでお招きして、シュメール語の『イナンナの冥界下り』が古典芸能の手法にかかるとどうなるのかを実演も交えてお話します。 

お申し込みはこちらからお願いします

 

『イナンナの冥界下り』のブログ

『イナンナの冥界下り』に関する、さまざまな雑感をブログに書いていきます。

これが溜まったら編集して、HPのエッセイの方にもまとめようと思っています。

…てなわけで、Twitterくらいの気楽さで書きますので、あまり細かいツッコミはしないでくださいね。